名称:「メヒコの衝撃―メキシコ体験は日本の根底を揺さぶる」市原湖畔美術館
開催期間:2021.07.10.SAT.- 2021.09.26.SUN.
開館時間:平日/10:00~17:00、土曜・祝前日/9:30~19:00、
日曜・祝日/9:30~18:00(最終入館は閉館時間の30分前まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
料金:一般:1,000 円(800 円)、65 歳以上の方・大高生:800 円(600 円)
()内は20 名以上の団体料金。中学生以下無料、障がい者手帳をお持ちの方とその介添者(1 名)は無料。
主催:市原湖畔美術館 [ 指定管理者:(株)アートフロントギャラリー ]
後援:在日メキシコ大使館、千葉県、大多喜町、御宿町、市原市教育委員会
住所:〒290-0554千葉県市原市不入75-1
TEL:0436-98-1525
URL:市原湖畔美術館
革命の芸術が刻印され、生と死、古代と現代、
現実と超現実が混淆するメキシコと日本人アーティストの化学反応
メキシコのスペインによる征服から 500 年、独立から 200 年にあたる今年、市原湖畔美術館は「メヒコの衝撃―メキシコ体験は日本の根底を揺さぶる」を開催いたします。
当館が所在する千葉県は、日本とメキシコの交流が始まった地として知られます。1609 年、スペイン統治下にあったフィリピンからメキシコに向かう帆船サン・フランシスコ号が御宿沖で座礁し、300 人以上の遭難者を地元の住民たちが救出、大多喜城主・本多忠朝が手厚く保護し、徳川家康のはからいで無事帰国させたのです。
本展は、日本とメキシコの交流の歴史を繙きながら、メキシコの歴史・風土・人・芸術に衝撃を受け自らの表現に向きあってきた8人のアーティストに焦点を当て、メキシコの何が彼らを惹きつけたのか、そのメキシコ体験を多角的に解き明かそうとするものです。
革命直後のメキシコに渡り、民衆の芸術を求める壁画運動に感銘を受け、帰国後も反骨の画家として生きた北川民次。1955 年、東京国立博物館で開催されたメキシコ美術展に衝撃を受け、メキシコ滞在を経て新たな表現へと向かった利根山光人、河原温。自らのうちに「メキシコ的なるもの」を発見し、巨大壁画《明日の神話》を描いた岡本太郎。版画指導に招聘されたメキシコでその作風を一変させた戦後銅版画の第一人者・深沢幸雄。メキシコ民衆が生きる世界に妖怪を幻視し、膨大な数の仮面をコレクションした水木しげる。「死者の日」の祭りに魅了され、強烈な極彩色で魔法画を描き続ける絵本作家・スズキコージ。映画≪セノーテ≫で現世と黄泉の世界を結ぶと信じられるマヤの洞窟泉をめぐる神秘の旅を撮りあげた小田香。
排他性と連帯への希求に世界が大きく引き裂かれ、コロナ禍により、生と死のありよう、現代文明の基盤そのものが問われる今、アーティストたちが共振した<メヒコ>は、私たちに多くの示唆を与えてくれるでしょう。
出展作家:
北川民次、岡本太郎、利根山光人、深沢幸雄、河原温、水木しげる、スズキコージ、小田香
北川民次[1894-1989]
1894 年静岡県生まれ。1910年、早稲田大学に進学するが、中退し1914年渡米。 ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグでジョン・スローンに師事。1921年、メキシコに渡り、オロスコ、リベラ、シケイロスらと交友、メキシコ壁画運動に共感し、力強い作風の作品を残す。1925年、トラルパンの野外美術学校で児童美術教育に携わり、1931年、タスコ野外美術学校校長になる。生徒の作品展はヨーロッパにも巡回し、ピカソ、マティス、 藤田嗣治などが称賛する。1936年、帰国。翌年の二科展で発表した「タスコの祭り」等で注目を浴び、メキシコ壁画運動の思想を日本に持ち帰り、衝撃を与える。戦前から戦後を通して国家権力への抵抗を絵にし、 画壇のアウトサイダーと呼ばれた。1986年にはメキシコ政府から、外国 人に対する最高位の勲章であるアギラ・アステカ勲章を授与された。
岡本太郎[1911-1996]
1911 年東京生まれ。1929年東京美術学校入学後すぐ渡仏。パリ大学で哲学、民族学を学ぶ。非西洋圏の文化芸術への関心が高まる 1930 年代のパリでメキシコを知る。1941 年帰国、応召され従軍。1948 年に花田清輝、埴谷雄高らと〈夜の会〉を結成。1963 年に初めてメキシコを訪れ、「メキシコはけしからん。何百年も前からおれのイミテーションをやっている」という言葉を発するなど、強い共感を示した。
1967-68 年にオテル・デ・メヒコのために巨大壁画「明日の神話」を描くが、作品はその後行方不明となり、2003 年に発見され、2008 年渋谷駅コンコースに恒久設置される。1970 年、大阪万博テーマ館をプロデュース、《太陽の塔》を制作した。
利根山光人[1921-1994]
1921 年茨城県に生まれる。早稲田大学を卒業し、召集・入隊を経て終戦を迎える。戦後、ストラヴィンスキーの音楽に触発されて前衛絵画を制作する一方、版画の制作を開始。その後、岩波の記録映画「佐久間ダム」を見て心を揺り動かされ、その建設現場に取材した制作をはじめ、社会派の画家としての姿を現す。1955 年「メキシコ美術展」を見て衝撃を受け、1959 年にメキシコを訪れ、マヤ古代文明をモチーフとした制作を始める。それ以後も度々メキシコを訪れ、生涯にわたって古代文明からの示唆を現代社会や現代人への問いかけとして描き続け、メキシコを題材とした情熱的な作品を数多く残し、太陽の画家と呼ばれた。シケイロス、オロスコなど壁画作家の影響を受け、パブリックアートも多数制作。アギラ・アステカ賞を2度受賞する。
深沢幸雄[1924-2017]
1924 年山梨県に生まれる。東京芸術大学卒業後、千葉県市原市にアトリエを構え、県立市原高等学校で教壇に立ちながら油絵を描く。東京大空襲で負傷後、独学で銅版画を学び、銅版画の名手として数々の受賞歴を誇るようになる。高校教員を退いたのち日本版画協会理事長、多摩美術大学教授を歴任するなど後進の指導に尽力。市原湖畔美術館にコレクションが常設展示されている。メキシコには 1963年にメキシコ国際文化振興会の招へいで銅版画の指導のため滞在。それまでのモノクロームから鮮やかな色調へと作風を大きく変える。メキシコ政府からアギラ・アステカも受章した。
河原温[1932-2014]
1932 年愛知県に生まれる。19歳でデビュー、《浴室》シリーズや《物置小屋の出来事》等の鉛筆描画で高い評価を得る。1955年のメキシコ美術展を特集した『美術批評』10月号で「メキシコ美術の価値化」と題し、「西欧近代の硬化した抽象的原理をもって人間性の昂揚、あるい は自由を表明してきた多くの近代主義者にとって、このメキシコ美術展ほど驚嘆に値するものはないだろう」と書いている。1959年、渡墨。メキシコには1962年末まで滞在するがそこでの活動についてはほとんど記録が残っていない。1965年よりニューヨークを拠点とする。1966年、時間、生と死をテーマとした《Today》シリーズを開始。以後一切経歴を明らかにせず、公式の場に姿も見せず、語ることもなかった。1968年にメキシコ再訪。そこからカスパー・ケーニッヒに送った絵葉書が《I Got Up》シリーズの始まりとなった。他に《I Am Still Alive》《I Went》等のシリーズがある。
水木しげる[1922-2015]
1922 年鳥取県に生まれる。太平洋戦争時、激戦地ラバウルに出征、左腕を失う。復員後、様々な職業を経て紙芝居作家となりその後漫画家となる。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。妖怪文化を広めた妖怪研究家としても知られ、1995 年に世界妖怪協会を設立して会長となり、荒俣宏らと世界妖怪会議を開催。世界各地に「冒険旅行」と称するフィールドワークを行う。メキシコは 1997 年、インディオの呪術的な信仰世界が生き生きと残る南部オアハカ州やゲレーロ州へと「死者の日」の祝祭週間をはさんで精力的に旅し、悪魔や動物や死霊の仮面を蒐集する。その旅行記は、1999 年『幸福になるメキシコ』(祥伝社)として出版された。
スズキコージ[1947-]
1947 年静岡県に生まれる。高校卒業後上京し、赤坂の割烹料理店で住み込みで
働きながら、歌舞伎町などの路上で作品を発表。「平凡パンチ」の編集者だった叔父のつてで堀内誠一に見込まれ、イラストレーターとしてデビュー。1971年初個展。1972 年『ゆきむすめ』(文・岸田衿子)で絵本画家としてデビュー。以来、絵本、絵画、映画劇場ポスター、ライブペインティング、ワークショップなど、多彩な表現活動を展開する。小学館絵画賞、絵本にっぽん賞、講談社出版文化賞、日本絵本賞大賞などを受賞。2014 年、「スズキコージの絵本原始力展」(姫路市立美術館)を開催。2019 年日曜美術館で特集される。1995年以来メキシコに魅せられ、「死者の日」の祭りには 9 回通う。
小田香[1987-]
1987 年大阪府に生まれる。2011 年ホリンズ大学教養学部映画コース修了。卒業制作《ノイズが言うには》でなら映画祭 Nara-wave 部門で観客賞を受賞。2013年、映画監督タル・ベーラが指揮する映画作家育成プログラム film.factory に参加し、2016 年に修了。2014 年度ポーラ美術振興財団在外研究員。ボスニア炭鉱を撮った長編第一作《鉱 ARAGANE》(2015)が山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波部門にて特別賞受賞。イメージと音を通して人間の記憶(声)「私たちはどこから来て、どこに向かっているのか」を探究する。《セノーテ》(2019)では、小田が水中撮影に挑み、マヤ文明の時代から現世と黄泉を結ぶと信じられ、雨乞いの儀式のために少女たちが生贄として捧げられてきた泉をめぐる歴史と記憶が交差していくさまを映し出し、第1回大島渚賞を受賞(審査委員長:坂本龍一、審査員:黒沢清、荒木啓子)。2020 年度芸術選奨新人賞受賞。
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