平山郁夫 田渕俊夫 師弟展「色彩とこころ」平山郁夫美術館

平山郁夫 田渕俊夫 師弟展「色彩とこころ」平山郁夫美術館

名称:平山郁夫 田渕俊夫 師弟展「色彩とこころ」平山郁夫美術館
会期:令和3年6月12(土)~9月30日(木)※延長
  〈会期中無休〉
主催:公益財団法人平山郁夫美術館
後援:広島県、広島県教育委員会、公益財団法人ひろしま文化振興財団、尾道市、尾道市教育委員会
会場:平山郁夫美術館(広島県尾道市瀬戸田町沢200-2)
入館料金:一般920円、高大学生410円、小中学生210円
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
住所:〒722-2413 広島県尾道市瀬戸田町沢200-2
TEL:(0845)27-3800
URL:平山郁夫美術館

平山郁夫 田渕俊夫 師弟展「色彩とこころ」平山郁夫美術館
平山郁夫 田渕俊夫 師弟展「色彩とこころ」平山郁夫美術館

【展覧会の概要】
田渕俊夫が制作した鶴岡八幡宮絵巻は2020年に完成の運びとなりました。その完成を記念し絵巻2巻と京都・智積院の襖絵6面、福井・永平寺の襖絵8面、その他の主要作品を、師である平山郁夫の代表作とともに紹介します。

日本文化にかける思いを同じくした二人ですが、作風が大きく異なる二人の世界を紹介します。

【師弟関係のはじまり】
東京藝術大学美術学部の学生だった田渕俊夫は、前田青邨教室の助手であった平山郁夫に出会います。1970年、田渕が29歳のとき、愛知県立芸術大学の講師として東京を離れる際に、下図の講評を平山に依頼したことが師弟関係の始まりとなりました。1982年に平山が率いる、東京藝術大学大学院の中国古美術研修旅行に田渕は参加し、北京や雲岡石窟、洛陽、西安、上海などを巡りました。1985年には、田渕は、東京藝術大学大学院美術研究科保存修復技術助教授となり、平山が団長を務める第2次東京藝術大学敦煌学術調査団に参加します。

【作風の違い】
日本画や日本文化への姿勢を同じくした二人ですが、作風は大きく異なります。田渕が繊細な線描による表現で植物を描いたときに平山から「田渕君、カミソリでは大きな木は倒せないよ」と言われましたが、作風を変えることはありませんでした。平山も「君は僕と同じようなところがあるから、君の考えている事がわかるし、自由にやりなさい」と言い、師弟の関係でありながら、異なる世界を追求してきました。

平山の代表的な色は《アンコールワットの月》に見られる群青で、その美意識は瀬戸内の海が育んだと言われています。緑や金も持ち色として多く用いますが、瀬戸内の島の緑や黄金色の夕陽が基礎になっています。また、粒子の大きい岩絵の具を用いて厚塗りをし、立体的に描くのも特徴的です。

一方、田渕はあえて色数を抑えた制作も行います。智積院の《春(枝垂れ桜)》は墨一色で描かれながらも、桜色を彷彿とさせます。粒子の細かい岩絵の具を用いて日本の古都を描いた《大和心象 法隆寺遠望》では、繊細な世界を描き出しています。

このように、作風は大きく異なりながらも、田渕は「なにかあると平山先生だったらどうするかを思い巡らせる」と言います。日本美術院の理事長として、田渕は日本画と日本文化への思いを平山から受け継ぎながら未来へとつなぎます。

【見どころ】
平山郁夫と田渕俊夫の師弟展は、本展覧会が初めての開催となります。第2展示室、第3展示室で二人の作品を紹介します。(第1展示室は常設の「平山郁夫の歩み」)

第2展示室では、二人が描いた日本の美を紹介します。平山は、古都・京都の美しい姿を後世に伝えるために「平成の洛中洛外」シリーズを描きました。田渕は、内戦の続くナイジェリアからの帰国後に出会った草花《くずの頃》や《めだけ》のたくましい姿と生命の連鎖を描きました。《月明り》は繊細でファンタジーな世界を描き出しています。

第3展示室では、日本だけでなく海外取材に基づく作品も紹介します。若き平山に生きる力を与えた奥入瀬渓流を描いた《流水間断無(奥入瀬渓流)》や遺跡の救済のために平山が描いた《アンコールワット遺跡朝陽》、田渕が平山と訪れた敦煌の夜空を描いた《大地悠久 オアシスの月》を展示します。

田渕が福井県・永平寺に奉納した《雲水》(襖8面)や京都・智積院に奉納した《春(枝垂れ桜)》(襖6面)、鎌倉・鶴岡八幡宮に奉納した《鶴岡八幡宮絵巻》(絵巻2巻)は、中国地方では初公開となります。(《鶴岡八幡宮絵巻 巻一》の展示は6月12日~6月30日、《鶴岡八幡宮絵巻 巻二》の展示は7月1日~8月6日)

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