名称:特別展・特別陳列「第73回 正倉院展」奈良国立博物館
会期:令和3年(2021)10月30日(土)~11月15日(月)
会場:奈良国立博物館 東新館・西新館
休館日:会期中無休
開館時間:午前9時~午後6時
※金曜日、土曜日、日曜日、祝日(11月3日)は午後8時まで
※入館は閉館の60分前まで
観覧料金:観覧には「前売日時指定券」の予約・発券が必要です。当日券の販売はありません。
前売日時指定券の販売は、9月25日(土)午前10時からです。
観覧料金(前売日時指定券)
一般券 2,000円
高大生券 1,500円
小中生券 500円
キャンパスメンバーズ学生券 400円
研究員レクチャー付き鑑賞券 3,000円
主催:奈良国立博物館
協賛:岩谷産業、NTT西日本、関西電気保安協会、近畿日本鉄道、JR東海、JR西日本、シオノギヘルスケア、ダイキン工業、ダイセル、大和ハウス工業、中西金属工業、丸一鋼管、大和農園
特別協力:読売新聞社
協力:NHK奈良放送局、Osaka Metro、奈良交通、奈良テレビ放送、日本香堂、仏教美術協会、読売テレビ
住所:〒630-8213奈良県奈良市登大路町50
TEL:050-5542-8600
URL:奈良国立博物館
正倉院は奈良時代に建立された東大寺の倉庫で、聖武天皇の遺愛の品々を中心とする約9,000件の宝物を今に伝えます。正倉院展は、これら正倉院宝物の中から毎年60件ほどを選び公開する展覧会で、今年で73回目を迎えます。今年も、楽器、調度品、染織品、仏具、文書・経巻など、正倉院宝物の全容をうかがえるような多彩なジャンルの品々が出陳され、宝物が織り成す豊かな世界をお楽しみいただけます。
高貴な素材を惜しげもなく使った螺鈿らでん紫檀の阮咸(円い胴の絃楽器)や、極彩色の文様が目にも鮮やかな漆うるし金きん薄ぱく絵盤えのばん(蓮華形の香炉台)は、天平文化の華やぎを今も鮮明にとどめた、正倉院宝物を代表する品です。螺鈿紫檀阮咸は奈良では25年ぶりの公開、また漆金薄絵盤は平成25年(2013)に出陳されたものと対ついをなすもので、28年ぶりの公開となります。
日本で仏教がますますさかんになった奈良時代を象徴する出来事の一つが、東大寺大仏の造立でした。今年はこの大仏の開眼法要において東大寺に献納された品々がまとまって出陳されます。中でも、遥はるか西方の地で作られたとされる白はく瑠る璃りの高たか坏つき(ガラス製の高坏)は、高度な技術水準を示すガラス器の優品として注目されます。また、開眼法要で演じられた楽がく舞ぶの装束も出陳され、法要の場の華やかな情景が浮かんできます。
そのほか、鳥や獅子の文様を彩いろどりゆたかに描いた曝布彩絵半臂(文様を描いた上着)や夾纈染め(板締め染め)の幡など、様々な技法で装飾された染織品もみどころです。とくに今回初出陳となる茶地花樹鳳凰文﨟纈の絁(文様染めの絹織物)は、その名称のとおり﨟纈染め(蠟を防染剤として使う染色技法)の一種と考えられてきましたが、これまでほとんど知られていなかった色染めの技法が使われていることが最近明らかにされ、当時の染色技術の多彩さをうかがわせる研究成果として注目を集めています。
一方、近年、宮内庁正倉院事務所で本格的な調査が行われた筆をはじめ、墨・硯すずり・紙といった文房具がまとまった点数出陳されるのも今回の大きな特徴です。これらに注目することで、人々の知識の源泉となり、また国の統治に欠かせない文書行政を支えた当時の書の文化に思いを馳はせる機会ともなります。
公開講座
①令和3年(2021)10月30日(土) 「正倉院の染織品にみる文様染め技法」 片岡 真純 氏[宮内庁正倉院事務所保存課整理室員] ②令和3年(2021)11月6日(土) 「正倉院の筆」 杉本 一樹 氏[宮内庁正倉院事務所宝物調査員(前所長)] ③令和3年(2021)11月13日(土) 「正倉院のガラス器について-白瑠璃高坏を中心として-」 吉澤 悟[奈良国立博物館学芸部長] |
- 時間:午後1時30分~3時(午後1時開場)
- 会場:奈良国立博物館 講堂
- 定員:各90名(事前申込制)※抽選による座席指定制です。
- 料金:聴講無料(展覧会観覧券等の提示は不要です)。
- 応募期間:令和3年(2021)9月25日(土)~10月12日(火)必着
- 応募方法:はがきかファクスに、代表者の郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号と同伴者(1名まで)の氏名、年齢、参加希望日を書いて、以下の宛先にご応募ください。
はがき:〒539-0041(住所不要)読売新聞大阪本社文化事業部「第73回正倉院展」公開講座係
ファクス:06-6366-2370 正倉院展ホームページからもお申し込みいただけます。 - 参加証の送付:当選者には、10月20日(水)までに参加証をお送りします。当日必ずご持参ください。
主な出陳品
天平勝宝8歳(756)6月21日に光明皇后(こうみょうこうごう)が東大寺盧舎那仏(るしゃなぶつ)に献納(けんのう)した品の一つ。献納目録の『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』によると、これは皇后が自ら筆を執って写した書物であり、同じく光明皇后自筆の楽毅論(がっきろん)などとともに御書箱(おんしょのはこ)(出陳番号2)に収められていた。白、赤、褐、青などの色紙を19枚継いで1巻とし、力強い筆運びで本文を墨書する。巻末等に「積善藤家」の朱印が捺される。『杜家立成』(『杜家立成雑書要略』)は、中国唐代に編まれた、書状の模範文例集。
尺八とは、長さ1尺8寸の管に指穴が開く縦笛のこと。本品は、『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に「刻彫尺八一管」と記載される竹製の尺八である。宝庫に現存する8管の尺八の中で最も長く、唐時代の尺の長さでちょうど1尺8寸に相当する。本体前面に5つの指穴を穿(うが)つのは古代の尺八に共通する特色であり、現代の尺八より1つ多い。表面は、竹の表皮を彫り残すことによって、唐装の女性像や樹木・草花・飛鳥などの華麗な文様(もんよう)が表される。
聖武天皇(しょうむてんのう)の遺愛品。円い胴部をもつ4絃の琵琶で、阮咸と呼ばれている。この形式の琵琶は中国で3~4世紀頃に成立したとされ、この楽器を愛用した仙人・阮咸にちなんでこの名が付いたとされる。この品は胴部の前面を除き、材はシタンを用いる。撥受(ばちう)けには阮咸を奏でる女性と耳を傾ける3人の男女を描いた円い皮を貼る。胴部背面はヤコウガイやタイマイ、琥珀(こはく)などを象嵌(ぞうがん)した螺鈿(らでん)細工で、宝玉を連ねた綬帯(じゅたい)をくわえて飛ぶ2羽のインコを表す。
『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に記載された鏡のひとつ。青銅製で、中国・唐で流行した花形に鋳造(ちゅうぞう)されている。鏡の背面には、葡萄(ぶどう)の枝をくわえた2羽のインコが、首から宝玉を連ねた綬帯(じゅたい)をなびかせ、旋回するように表される。鎌倉時代に盗難に遭い大破したが、明治27年(1894)の修理の際、銀製のかすがいでつなぎ止められるなどして、現在の姿となった。
黄色味をおびた透明ガラスの高坏。製作方法は、飴状に溶かしたガラス胎を吹き竿で膨らませて坏部と高台の原型を作り、両者の接合後、加熱しながら口縁を切り、体部を引き延ばして成形したと考えられる。中近東ないし地中海東岸(シリアやエジプトなど)で作られたローマンガラスもしくは初期イスラムガラスで、当初の形と光彩を今に伝える世界的な名器。
本品は、瑪瑙坏(めのうのつき)(出陳番号11・12)や水精玉(すいしょうのたま)(出陳番号13)などと一緒に漆小櫃(うるしのこびつ)(出陳番号9-1)の中に収められ、天平勝宝4年(752)4月9日の大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)に奉納されたことが知られている。
半臂は上着の一種で、袖(そで)が短く、裾(すそ)に襴(らん)と呼ばれる飾りが付く。本品は身頃(みごろ)(体の前面・背面を覆う部分)に絵が描かれた袷(あわせ)仕立ての半臂。身頃は麻布、襟(えり)・衽(おくみ)(前身頃に縫(ぬ)い付けた、襟(えり)から裾(すそ)までの布)・両袖は錦で、腰に﨟纈(ろうけち)染めの綾(あや)の紐が付き、裾には羅(ら)の襴の痕跡が残る。麻製彩絵の半臂は正倉院の宝物では他に例がない。後ろ身頃に描かれている、宝相華(ほうそうげ)をくわえて振り向く2頭の獅子(しし)が目を引く他、様々な鳥や蝶も表されている。残存する色料から、これらの絵は赤、青、緑、黄の諸色や金泥(きんでい)で華やかに彩られていたことがうかがわれる。
仏に捧げる供物(くもつ)を置くための台机で、白絁(しろあしぎぬ)の褥(じょく)(敷物)を載せて用いた。天板は、蘇芳塗(すおうぬり)を施した黒い筋目の出た黒柿の板3材を合わせ、細長い四つ葉のような形に作り、華足(けそく)と呼ばれる植物をあしらった脚が四隅に付く。側面には、数種類の植物、蝶や鳥が金泥で細密に描かれている。天板の裏に「戒壇」の墨書があるので、東大寺の戒壇院(かいだんいん)で供物の献納(けんのう)の際に用いられたものと考えられる。
蓮の花をかたどった台座。木製の岩座上面に、8本の柄をもつ銅板を4層に重ねて釘打ちし、各柄の先端にクスノキ材製の蓮弁を鋲留めして、その中央に上面が盆形の蓮肉を置く。各蓮弁には、金箔や多彩な顔料(がんりょう)を用いて宝相華(ほうそうげ)・鴛鴦(おしどり)・獅子(しし)・迦陵頻伽(かりょうびんが)など種々の文様(もんよう)が華麗に描かれる。宝庫には同形同大のものが別に1基伝わり、いずれも岩座裏面に「香印坐」の墨書銘があることから、一対(つい)で仏前にそなえる香炉の台として用いられたとみられる。
赤味を帯びた茶色の地に鳳凰(ほうおう)や草木の文様(もんよう)を表した裂(きれ)の断片。正倉院に伝来した経緯や用途、製作地は不詳だが、文様の特徴などから8世紀頃の作と考えられている。名称が示しているように、本品は﨟纈(蠟を防染剤(ぼうせんざい)として使う染色技法)の一種と考えられてきたが、最近の調査で、正倉院の染織品としては従来知られていなかった、アルカリ性物質を利用した全く別の文様染め技法が使われていることが明らかになった。
写経の筆に関する帳簿で、宝亀5年(774)に官営の写経所で作成された。写経所で経文の筆写を担当する経師(きょうし)は、一定量の写経をすると消耗した筆を新しいものと交換することになっていたが、このとき経師自身がそれまでに筆写した経典名と紙の枚数を申告する必要があり、この申告書のことを筆手実(ふでしゅじつ)といった。この巻は、同年7月から10月に提出された多数の筆手実を、写経所の事務担当者が貼り継ぎ、管理用の台帳としたものである。
筆記用の毛筆。現代の筆は、筆先を毛(獣毛)のみで作るが、正倉院に伝来する筆は、中心に芯となる毛を立ててその周りを紙で巻き、さらに数回にわたって毛と紙を交互に巻き付けて作られている。本品の筆管は表面にまだら模様が表れる斑竹(はんちく)材で、上下には銀が巻かれる。ふたを伴い、尾端は象牙(ぞうげ)を用いた塔形で装飾されるなど、美しく飾られた文房具である。
大判の白紙の表裏に動物文や飛雲の絵柄(えがら)を描画した装飾紙40枚が軸木に巻かれた状態で伝わってきたものの内の1枚。表は飛雲中を駆ける麒麟(きりん)を赤色色料で描き、裏は全面にわたり飛雲のみを白色色料で描く。描画はいずれも刷毛(はけ)のような幅広の筆を用い、書の飛白体(ひはくたい)に通じる自在な筆致(ひっち)を見せる。なお、この紙の用途については明らかでない。
正倉院に伝わる唯一の硯。硯本体は須恵器(すえき)(陶器)で、それを六角形の青斑石(広義の蛇紋岩(じゃもんがん))の床石に嵌め込み、木製の台に載せている。台の側面は木画(シタンやツゲなどを用いた寄木細工)で飾られ、白い縁の部分は象牙(ぞうげ)を細く切ったものを貼っている。貴重な素材と高度な技術を駆使した最高級の古硯であり、当時の工芸技術の高さに驚かされる。
記録によれば、大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)の翌年(天平勝宝5年・753)に、筆や紙と一緒に「研」(硯)が東大寺に献納(けんのう)されたという。本品はその「研」に相当するものとみられる。
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