名称:「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」アーティゾン美術館
会期:2022年7月30日[土] – 10月16日[日]
前期:7月30日[土]- 9月11日[日]
後期:9月13日[火]- 10月16日[日]
開館時間:10:00ー18:00(9月23日を除く毎週金曜日は20:00まで) *入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(9月19日、10月10日は開館)、9月20日、10月11日
主催:公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館
会場:6・5階 展示室
巡回:久留米市美術館 本館2階(会期:2022年10月29日[土]− 2023年1月22日[日])
同時開催:2022年7月20日[水]ー10月16日[日]
石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 田園、家族、都市(4階 展示室)
住所:〒104-0031 東京都中央区京橋1-7-2
URL:アーティゾン美術館
青木繁(1882-1911)と坂本繁二郎(1882-1969)は、ともに現在の福岡県久留米市に生まれ、同じ高等小学校で学び、同じ洋画塾で画家を志しました。日本の洋画が成熟へと向かう時代の流れのなかで、それぞれに独自の作風を探求しました。青木は東京美術学校(現東京藝術大学)在学中に画壇にデビューし、美術と文学において浪漫主義的風潮が高まる時代のなか、《海の幸》(1904年)で注目を集め、若くして評価されます。しかし、華々しいデビューとは対照的に、晩年は九州各地を放浪し、中央画壇への復帰も叶わず短い生涯を終えました。一方、坂本は青木に触発されて上京し、数年遅れてデビューします。パリ留学後は、福岡へ戻り、87歳で亡くなるまで長きにわたって、馬、静物、月などを題材にこつこつと制作に励み、静謐な世界観を築きました。作風も性格も全く異なる二人ではありますが、互いを意識して切磋琢磨していたことは確かでしょう。 生誕140年という記念すべき年に開催する本展は、約250点の作品で構成されます。二人の特徴や関係をよく表す作品を中心にすえ、それぞれの生涯をときに交差させながら「ふたつの旅」をひもといていきます。
青木繁
1882(明治15)年、福岡県久留米市生まれ。1903年、東京美術学校(現東京藝術大学)在学中に神話に取材した作品群で画壇デビュー。翌夏、青木は、友人の坂本、森田恒友、恋人の福田たねと房州の漁村(現千葉県館山市)に滞在し、友人たちの目にした大漁陸揚げの話に想像力をかき立てられ大作《海の幸》を制作しました。この作品はすぐれた構想力と大胆な表現法によって注目され、今日、日本近代美術史において、明治浪漫主義絵画を代表する作品として位置づけられています。1907年父親危篤に際して帰郷し、父が亡くなると、家族を扶養する問題に直面します。その解決策を見出せないまま九州各地を放浪し、中央画壇への復帰を画策しますが、その希望は叶うことなく、1911年、肺結核のため28歳で亡くなりました。
坂本繁二郎
1882年、福岡県久留米市生まれ。1902年、青木に誘われ上京、不同舎と太平洋画会研究所で学びました。青木が没すると、遺作展開催や画集編纂などその顕彰に尽くします。1912(大正元)年、文展出品作《うすれ日》(個人蔵)が夏目漱石に評価され、1914年、二科展結成に加わりました。1924年、3年間のパリ留学を終えて郷里久留米へ戻った後、1931(昭和6)年、八女(やめ)市へ移り、没するまでその地で制作を続けました。人工的な要素の強いものを嫌い、自然のままの味わいを好んだ坂本は、身近な自然や静物に向き合い、淡い色彩と均質な描法によって対象を描き出します。1969年87歳の長寿を全うするまで、その静謐な作風で牛や馬、能面や月などを多く描きました。
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