「松雲室100年遠諱記念 見性宗般 ―圓福寺・見性寺所蔵遺墨―」花園大学歴史博物館

「松雲室100年遠諱記念 見性宗般 ―圓福寺・見性寺所蔵遺墨―」花園大学歴史博物館

名称:「松雲室100年遠諱記念 見性宗般 ―圓福寺・見性寺所蔵遺墨―」花園大学歴史博物館
会期:2022/06/27(月) 〜 2022/08/07(日)
会場:花園大学歴史博物館
時間:10:00~16:00(土曜日は14:00まで)
休館日:日曜日、祝日 ※ただし、7/10(日)、8/7(日)は開館
料金:無料
住所:〒604-8456 京都府京都市中京区西ノ京壺ノ内町8−1
TEL:075-811-5181(代表)
URL:花園大学歴史博物館

「松雲室100年遠諱記念 見性宗般 ―圓福寺・見性寺所蔵遺墨―」花園大学歴史博物館
「松雲室100年遠諱記念 見性宗般 ―圓福寺・見性寺所蔵遺墨―」花園大学歴史博物館

明治という激動の時代に禅の法灯を繋ぐことに尽力した禅匠の一人・見性宗般(1848-1922)。その没後100年の遠諱を記念し、由緒寺院である圓福寺と見性寺に蔵される師の遺墨を紹介します。
展覧会のタイトルにある「松雲室」は見性宗般の室号です。
見性宗般は嘉永元年(1848)に加賀国(石川県)の小松に生まれ、金沢の高巌寺で剃髪、京都の南禅寺にて蓬洲禅苗と巨梁梵慧に学びました。さらに圓福寺(京都府八幡市)の伽山全楞や道林寺(東京都・浅草)の鄧州全忠に歴参、両師の印可(仏教において師僧が弟子が悟りを得たことを認めること)を受けました。
その後、まず熊本の見性寺に住しますが、明治32年(1899)に嘗て学んだ圓福寺の僧堂にて修行僧を指導する師家に招請され、さらに明治41年(1908)には大徳寺派管長(第5代)に就任します。また、有栖川宮威仁親王の帰依を受け、深い交流があったことが知られています。
見性宗般は衣服などの風采にこだわらない性格だったともいわれ、「今一休」として慕われました。一方で諸行・諸芸に通じ、とりわけ和歌を能くしたことから「今西行」とも称されています。師の語録・和歌集毒華集』におさめられた偈頌や和歌からは、教化に東奔西走した様子と、全国の景勝地を巡った師の足跡を垣間見ることができます。
今回の展覧会は、見性宗般遺墨のみで構成された初の本格的展覧会となります。師の遺墨の魅力は豪放な筆致にあり、一行書や旅先での漢詩のほか、自ら描いた絵画作品、さらに交友があった絵師の作品に賛文をしたためた作例も充実しています。これらの遺墨を通じて、師の足跡を振り返るとともに、その教えと禅風に触れていただけましたら幸いです。

見性宗般像 自賛 内田鉄針筆 明治44年(1911) 圓福寺
見性宗般像 自賛 内田鉄針筆 明治44年(1911) 圓福寺
墨蹟 印可状 (付与:通應宗徹、見性寺歴代印状のうち) 見性宗般筆 明治35年(1902) 見性寺
墨蹟 印可状 (付与:通應宗徹、見性寺歴代印状のうち) 見性宗般筆 明治35年(1902) 見性寺
墨蹟 「夢」 見性宗般筆 明治~大正(20世紀) 圓福寺
墨蹟 「夢」 見性宗般筆 明治~大正(20世紀) 圓福寺
墨蹟 遺偈 見性宗般筆 大正11年(1922) 圓福寺
墨蹟 遺偈 見性宗般筆 大正11年(1922) 圓福寺
面壁達磨図 見性宗般自画賛 明治~大正(20世紀) 圓福寺
面壁達磨図 見性宗般自画賛 明治~大正(20世紀) 圓福寺
東椎屋瀑布図 見性宗般自画賛 明治44年(1911) 圓福寺
東椎屋瀑布図 見性宗般自画賛 明治44年(1911) 圓福寺
社頭杉図 見性宗般自画賛 大正3年(1914) 見性寺
社頭杉図 見性宗般自画賛 大正3年(1914) 見性寺
鉄鉢図 見性宗般自画賛 大正7年(1918) 圓福寺
鉄鉢図 見性宗般自画賛 大正7年(1918) 圓福寺
如意輪観音図 見性宗般賛 田中百嶺筆 明治~大正(20世紀) 圓福寺
如意輪観音図 見性宗般賛 田中百嶺筆 明治~大正(20世紀) 圓福寺

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