企画展「森成麟造 上越考古学の先覚者」上越市立歴史博物館

企画展「森成麟造 上越考古学の先覚者」上越市立歴史博物館

名称:企画展「森成麟造 上越考古学の先覚者」上越市立歴史博物館
会期:令和4年7月2日(土曜日)から8月28日(日曜日)まで
開館時間:4月~11月:午前9時から午後5時まで
     12月~3月:午前10時から午後4時まで
    (注)入館券の販売は閉館時間の30分前まで
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始 
    (注)観蓮会期間中(7月16日(土曜日)から8月21日(日曜日)まで)は無休
    (注)新型コロナウイルス感染症の状況により、臨時休館となる場合があります。
住所:〒943-0835新潟県上越市本城町7-7(高田公園内)
TEL:025-524-3120
URL:上越市立歴史博物館

企画展「森成麟造 上越考古学の先覚者」上越市立歴史博物館
企画展「森成麟造 上越考古学の先覚者」上越市立歴史博物館

 明治17年(1884年)、東頸城郡菱里村真荻平(現上越市安塚区真荻平)に生まれた森成麟造(もりなり りんぞう)は、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)で学び、東京の病院勤務を経て、明治44年(1911年)に高田で開院しました。
 麟造は医業のかたわらで多彩な趣味をもち、東京勤務時代に主治医をつとめた夏目漱石との交流も深く、漱石が亡くなった翌年の大正6年(1917年)からほぼ毎年「漱石忌句会」を開催したりするなど、多くの文化活動の中心にいました。
 麟造は遺跡調査、考古資料の収集にも熱心で、縄文土器や石器、古墳時代の勾玉や中世の古銭など多様な資料を収集し、採集日や場所の記録を書き残すなど、上越地域の考古学・歴史研究の発展に大きな役割を果たしました。
 麟造の集めた考古資料1,379点は、「森成麟造考古資料コレクション」(森成コレクション)として、平成2年(1990年)に当館へ寄贈されました。
 本展では、森成家所蔵資料や森成コレクションを中心に、麟造の研究の業績と、多方面で活躍した麟造の生涯について紹介します。

森成麟造略年譜
和暦    西暦 事柄
明治17年 1884年 2月13日、東頸城郡菱里村真荻平で生まれる。
明治35年 1902年
高田中学校(現新潟県立高田高等学校)を卒業。
仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に入学。

明治39年 1906年 東京の長与胃腸病院で勤務をはじめる。
明治43年 1910年 夏目漱石の胃潰瘍を治療する。
明治44年 1911年 高田に森成胃腸病医院を開業する。
大正6年 1917年 第一回漱石忌句会を開催する。
大正8年 1919年 上越音楽倶楽部を設立、初代会長をつとめる。
大正15年 1926年
上越考古学会を設立する。相馬御風が初代会長、麟造は副会長。
(麟造は昭和2年から会長をつとめる)。

昭和23年 1948年 大手町小学校の初代PTA会長をつとめる。
昭和25年 1950年 上越郷土研究会を設立、初代会長をつとめる。
昭和30年 1955年 9月16日、71歳で死去。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 公募展「那珂川町を描く-心に残る風景-」那珂川町馬頭広重美術館
  2. 「冬のけしき」夢二生家記念館・少年山荘
  3. 企画展「石のワンダー」愛媛県総合科学博物館
ページ上部へ戻る