「渡辺崋山とゆかりの人たち」田原市博物館

「渡辺崋山とゆかりの人たち」田原市博物館

名称:「渡辺崋山とゆかりの人たち」田原市博物館
会期:2022年8月27日(土)~2022年10月2日(日)
住所:〒441-3421愛知県田原市田原町巴江11-1
TEL:0531-22-1720
URL:田原市博物館

渡辺崋山 わたなべかざん
寛政5年(1793)~天保12年(1841)
田原藩家老として活躍しました。絵は初め平山文鏡に習い、白川芝山、金子金陵、谷文晁の弟子となりました。
絵の評判については23歳頃には画壇が だ んで認められているほどでした。多くの弟子がいた事や、一番弟子は 椿椿山であったことが分かっています。
伊藤いとう
鳳 山文化3年(1806)~明治3年(1870)
庄内藩 しょうないはん
酒田 (現在の山形県酒田市)の町医師の家に生まれました。渡辺崋山の推挙により、田原藩の藩校成章館の教授を務めました。崋山の影響を受けた鳳山は、ペリーの来航時、開国を主張しました。
曲 亭馬琴きょくていばきん
明和4年(1767)~嘉永元年(1848)
本名は瀧澤興邦で、滝沢馬琴と呼ばれることもあります。馬琴は江戸時代後期のベストセラー小説『南総里見八犬伝』の作者です。馬琴の息子、滝沢琴嶺が渡辺崋山と同じ金子金陵の弟子である事から交友がはじまりました。馬琴と崋山は本を貸し借りする仲でした。
桜間青厓 さくらませいがい
天明6年(1786)~嘉永4年(1851)
岡崎藩主本田家に仕えた岡崎藩士です。渡辺崋山・椿椿山と交友していました。青厓が描く山水画は「山水は我青厓に及ばず」と崋山に言われるほど得意でした。蛮社の獄で崋山が捕らえられた際に、崋山の釈放に尽力した一人です。
江川坦庵えがわたんあん
享和元年(1801)~安政2年(1855)
通称は江川太郎左衛門と呼ばれています。江川家は鎌倉時代より続く名家で、江戸時代には伊豆国韮山の代官を代々務めました。坦庵は高島秋帆に就いて砲術を学びました。ペリー来航後は、品川台場建設、反射炉築造、大砲鋳造などを行いました。書は市河米庵、絵は椿椿山に学びました。
大蔵永常おおくらながつね
明和5年(1768)~万延元年(1861)
豊後の国日田 (現在の大分県日田市)の製蝋職人の家に生まれました。大坂や江戸など全国各地を巡り、諸国の農政について研究しました。やがて田原藩の家老渡辺崋山の知ることとなり、天保5年(1834)、崋山の推薦で田原藩産物方 さんぶつかたに就任しました。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 「第十四回 I氏賞受賞作家展」岡山県立美術館
  2. わが街ながのゆかりの作家展 中村明個展「混ポジション」長野市芸術館
  3. 「東京造形大学 写真研究所 ―ミクロな視点とマクロな視点―」BankART KAIKO
ページ上部へ戻る