名称: 「パリが愛した異邦人 レオナール・フジタ 作品 展」伊勢丹新宿店
会期:2022年11月9日(水) ~ 2022年11月22日(火)
場所:本館6階 アートギャラリー [最終日午後6時終了]
住所:〒160-0022 東京都新宿区新宿3-14-1
TEL: 03-3352-1111
URL: 伊勢丹新宿店
20 世紀初頭のパリで独自の画風と強烈な個性により一躍エコール・ド・パリの寵児となったレオナール・フジタ。
本展では、戦前に制作された貴重な作品から晩年に至るまでの肉筆画や版画作品をご紹介いたします。
■レオナール・フジタ Leonard Foujita(藤田 嗣治 Tsuguharu Foujita)
1886年 藤田嗣章と政の次男として 東京府牛込区新小川町(現・新宿区)に生まれる。
1888年 父の転勤により熊本に転居。1898年まで暮らす。
1905年 4月 東京美術学校 予備科に入る。
9月 西洋画科本科に入学。西洋画科主任は黒田清輝。
1907年 第11回白馬会展覧会に出品し初入選。
1909年 夏、房総半島に写生旅行に出かけ、鴇田とみと出会う。12年に結婚。
1910年 第4回文展に応募するが落選、以後、3年連続して落選する。
1913年 6月18日、父から3年間の援助の約束を得て、横浜港よりフランスに向けて出発。
8月5日マルセイユ着、翌日リヨン経由でパリに到着し川島理一郎と出会い交友。
1914年 2月頃ピカソのアトリエを訪ねる。
年末頃から第一次世界大戦の影響で父からの送金が途絶え経済的に苦しくなる。
1916年 戦時下のパリを離れロンドンに行く。骨董の修復、仕立て屋などで働く。
父からの援助を受けず自活する意思を伝え、日本に残した妻・とみと離婚する。
1917年 パリに戻る。フェルナンド・バレーと結婚。シェロン画廊と契約。
水彩画を納めて毎月収入を得るようになる。
1918年 妻とモディリアーニ、スーチンらと南仏カーニューで過ごしルノワールを訪ねる。
1919年 第 12 回サロン・ドートンヌに出品し全て入選、閉会後に会員に推挙される。
1920年 サロン・ドートンヌに正会員として油彩画 6 点を出品。
1921年 ローマ法王ベネディクトゥス15世と謁見。
サロン・ドートンヌに審査員として油彩画3点を出品。
パリ画壇での評価を確立する。
1922年 前年サロン・ドートンヌに出品した「自画像」がベルギー王立美術館買い上げ。
1924年 フェルナンドと別居、リシュー・バドゥー(ユキ)と暮らす。
1925年 フランス政府からレジオン・ドヌール勲章、
ベルギーからはレオポルド 1 世勲章を受賞。
1926年 フランス政府が 24 年作の「友情」を購入。リュクサンブール美術館に収蔵。
1927年 ルーヴル美術館版画室に銅版画2点が収蔵。
1929年 ユキと結婚。ユキと共に帰国。
1931年 パリに戻り、ユキと別れて、マドレーヌとブラジルに旅立つ。
1933年 南米での個展開催をしながらの旅を終え帰国。
1936年 マドレーヌ急死。堀内君代と暮らし始める。
1939年 妻・君代とともにアメリカ経由でフランスに発つ。
第二次世界大戦勃発後、戦火を避けてドルドーニュ地方に滞在。
翌年、戦況悪化のため、マルセイユから日本へ向けて出港。
1944年 神奈川県津久井郡小淵村藤野(現・相模原市緑区)に疎開。
1947年 藤田の戦犯容疑が正式に晴れる。
1949年 アメリカに旅立ち、50年2月にパリに到着。
1951年 「第1回 時代の証人たち」展が開催され、招待出品する。
挿画本「魅せられし河」を発表。
1955年 妻・君代と共にフランス国籍を取得。その後、日本国籍を抹消。
1957年 レジオン・ドヌール勲章を受章。
1958年 ベルギー王立アカデミー会員となる。
1959年 ランス大聖堂にてカトリックの洗礼を受ける。
1960年 イタリアに旅行。挿画本「小さな職人たち」を発表。
1963年 挿画本「四十雀」を発表。
1964年 ランスに礼拝堂を建てる計画に着手。
1966年 ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)完成。ランス市に寄贈される。
1968年 1月29日チューリッヒの病院で死去。2月3日ランス大聖堂で葬儀。
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