名称:「山口蓬春の描いた古典と現代 – 技を知り、文化を伝える – 」山口蓬春記念館
会期:2023年6月10日(土)~2023年9月24日(日)
開館時間:9:30 〜 15:30
休館日:月曜日
7月17日、9月18日は開館
7月18日、7月24日~8月4日、9月19日は休館
入場料:一般 600円、障害者手帳提示と付き添い1名 500円、高校生以下 無料
会場:山口蓬春記念館
住所:〒240-0111神奈川県三浦郡葉山町一色2320
TEL:046-875-6094
URL:山口蓬春記念館
明治維新後に西洋文化が流入、それまでの伝統文化が軽んじられたことに加え、廃仏毀釈による仏教寺院の廃頽や、美術品の海外流出などを背景に、明治20年(1886)、日本の伝統美術の振興を図るべく東京美術学校が設立開校されました。
山口蓬春(1893-1971)は大正4年(1915)、この東京美術学校西洋画科に入学。その後、指導教官のアドバイスから大正7年(1918)に日本画科へと転科し学ぶことになります。伝統を重んじる校風はその学習環境において顕著であり、蓬春が日本画科に進んだ大正中期においても東洋絵画の臨模(模写)が実技授業に積極的に取り入れられていました。
大正期から昭和初期にかけては、旧大名家や華族層が経済的苦境に陥り、伝世の名品を売却することが多くありました。蓬春は売立目録を手に、明治期に成立した最大規模の個人コレクション・井上馨旧蔵の伝雪舟《円窓草花》(室町時代)、そして酒井抱一の庇護者であった豪商・大澤家が旧蔵した尾形光琳《飛鴨図》(江戸時代)を求めています。戦後の経済・社会の混乱によって文化財の散逸や毀損、海外流出等が頻繁に起きていた中、蓬春が「黙っていたら今にも国外にもっていかれそうな気配なのでなんとか保護してやらなければ」と無理を承知で入手した作品が、伝・土佐光吉筆《十二ヶ月風俗図》(桃山時代、重要文化財)でした。
こうして日本の伝統文化を守り、その真価をみとめ、自らの画業にも活かしてきた蓬春ですが、著書『新日本画の技法』*において「近代の教育を受けた者はその藝術鑑賞の対象が世界的に広がり、殊に西欧の近代美術が取り上げられるようになった。」と述べ、新しい日本画の創造には西欧の美術にその精神を学ぶことの必要性も強調しています。蓬春は、戦前よりいち早くフランス現代作家の複製画を入手し、戦後はフランスの美術書籍やリトグラフを次々に購入しました。戦後間もない時期に開かれたピカソ、マティス、ブラックの展覧会に足を運び、西欧近代美術への審美眼を磨き、自らの感性を研ぎ澄ませてゆきました。
本展では美術家・山口蓬春が、古典美術と現代美術という一見相対する芸術を理知的に捉え、それらの真髄を新しい日本画の創造に昇華した経緯を、蓬春の日本画、古典の模写、蒐集した美術品ならびに良質な美術書籍を通じてご覧いただきます。蓬春の奥深い美への追求と審美眼を通じて、ゆたかな美術の世界をご覧ください。
*山口蓬春『新日本画の技法』美術出版社、昭和26年(1951)
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