「日本画に挑んだ精鋭たち―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―」山種美術館

「日本画に挑んだ精鋭たち―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―」山種美術館

名称:「日本画に挑んだ精鋭たち―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―」山種美術館
会期:2023年7月29日(土)~9月24日(日)
会場:山種美術館
開館時間:午前10時~午後5時 (入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日 [但し、9/18(月)は開館、9/19(火)は休館]
入館料:一般1400円、中学生以下無料 (付添者の同伴が必要です)
   ※障がい者手帳、被爆者健康手帳をご提示の方、およびその介助者(1名)一般1200円
   夏の学割 大学生・高校生500円 ※本展に限り、入館料が通常1100円のところ特別に半額となります。
   ※きもの特典:きものでご来館のお客様は、一般200円引きの料金となります。
   ※複数の割引・特典の併用はできません。
主催:山種美術館、朝日新聞社
住所:〒150-0012東京都渋谷区広尾3-12-36
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
URL:山種美術館

下村観山《不動明王》1904(明治37)年頃 絹本・彩色 山種美術館
下村観山《不動明王》1904(明治37)年頃 絹本・彩色 山種美術館

近代以降の日本画の歴史は、時代にふさわしい絵画を追い求めてきた画家たちの歴史でもあります。このたび、山種美術館では明治時代から現代にいたるまで、新たな日本画の創造に挑んだ画家たちの力作を揃え、その軌跡をたどる展覧会を開催します。
明治時代に入り、西洋文化を取り入れつつ社会の近代化が進む中、画家たちは、西洋画に匹敵、あるいは凌駕する日本の絵画を生み出そうと努めました。画壇では、政府主導の官展や、在野で勢力を持った日本美術院が大きな存在となります。大正・昭和時代を迎えると、既存の勢力に対抗する主張を抱いた画家たちが、美術団体を立ち上げるなど新たな局面を開こうとしました。
戦後には敗戦の影響も受け、それまでの日本画に対する価値観が社会的に問い直されて、「日本画滅亡論」を唱える声も出るようになります。画家たちは強い危機感と葛藤を抱きながら日本美術の伝統と向き合い、逆境を乗り越えようと、さまざまな表現や技法の探究を続けました。
本展では、輪郭線を使わない技法「朦朧体」で空気の表現に努めた菱田春草の《雨後》、女性が画家として生きる道を切り開いた上村松園の《牡丹雪》、希少な岩絵具の群青を多用して記念すべき展覧会(第1回青龍展)へ出品した川端龍子の《鳴門》、若い頃「日本画滅亡論」に直面するも日本を代表する画家となった松尾敏男の《翔》(山種美術館賞受賞作)などをご紹介いたします。明治時代から現代にいたる多彩な作品を通し、新たな日本画の創造に挑んだ精鋭たちの軌跡をご覧ください。

菱田春草《雨後》1907(明治40)年頃 絹本・彩色 山種美術館
菱田春草《雨後》1907(明治40)年頃 絹本・彩色 山種美術館
上村松園《牡丹雪》1944(昭和19)年 絹本・彩色 山種美術館
上村松園《牡丹雪》1944(昭和19)年 絹本・彩色 山種美術館
川端龍子《鳴門》1929(昭和4)年 絹本・彩色 山種美術館
川端龍子《鳴門》1929(昭和4)年 絹本・彩色 山種美術館
土田麦僊《大原女》1915(大正4)年 紗本金地・彩色 山種美術館
土田麦僊《大原女》1915(大正4)年 紗本金地・彩色 山種美術館
速水御舟《白芙蓉》1934(昭和9)年 紙本・墨画彩色 山種美術館
速水御舟《白芙蓉》1934(昭和9)年 紙本・墨画彩色 山種美術館
山口蓬春《卓上》1952(昭和27)年 紙本・彩色 山種美術館
©公益財団法人 JR東海生涯学習財団
山口蓬春《卓上》1952(昭和27)年 紙本・彩色 山種美術館 ©公益財団法人 JR東海生涯学習財団
山本丘人《入る日(異郷落日)》1963(昭和38)年 絹本・彩色 山種美術館
山本丘人《入る日(異郷落日)》1963(昭和38)年 絹本・彩色 山種美術館
片岡球子《北斎の娘おゑい》1982(昭和57)年 紙本・彩色 山種美術館
片岡球子《北斎の娘おゑい》1982(昭和57)年 紙本・彩色 山種美術館
中島千波《衆生・視》1979(昭和54)年 紙本・彩色 山種美術館
中島千波《衆生・視》1979(昭和54)年 紙本・彩色 山種美術館

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ページ上部へ戻る