「追悼 澄川喜一展」島根県立石見美術館

名称:「追悼 澄川喜一展」島根県立石見美術館
会期:2023年12月15日(金)~2024年2月12日(月)
会場:島根県立石見美術館
開館時間:9:30 〜 18:00
休館日:火曜日 12月28日〜1月2日は休館
入場料:一般 300円、大学生 200円、高校生以下 無料
主催:島根県立石見美術館、しまね文化振興財団、益田市、津和野町、吉賀町、岩国市、芸術文化とふれあう協議会
住所:〒698-0022島根県益田市有明町5-15
TEL:0856-31-1860
URL:島根県立石見美術館

「追悼 澄川喜一展」島根県立石見美術館
「追悼 澄川喜一展」島根県立石見美術館

2023年4月に亡くなった島根県吉賀町出身の彫刻家、澄川喜一。
当館では、開館時の2005年から2022年まで、17年にわたり島根県芸術文化センター長(兼 島根県立石見美術館長)を勤めました。その間、益田市と居住地である東京とを何度も往来し、郷里である石見地域の文化振興と、街の活性化に力を尽くしてきました。
澄川は、高校時代を過ごした山口県岩国市で、錦帯橋の魅力に目覚めて以来、長年、木や石の性質を活かした抽象彫刻の制作に従事しました。母校である東京藝術大学で教授となり後進を育て、同大学の学長に就任。一方で毎年のように新たな作品を新制作協会展や個展で発表することも欠かしませんでした。全国各地で野外彫刻の制作や、都市部の環境造形の仕事も数多くこなし、特に東京スカイツリー®のデザイン監修を担ったことで広く世間の注目を集めました。2020年には、こうした数多くの功績が表彰され、文化勲章を受章しています。
本展では、このたびの逝去を悼み、これまで当館に寄贈された作品を中心に、澄川が生涯一貫して追い続けた「そりのあるかたち」をテーマにした作品群約40点を紹介し、創作の軌跡を振り返ります。

澄川喜一《そりのあるかたち》1995年 当館蔵 (撮影:山﨑信一)
澄川喜一《そりのあるかたち》1995年 当館蔵 (撮影:山﨑信一)
澄川喜一《翼3》1999年 当館蔵 (撮影:山﨑信一)
澄川喜一《翼3》1999年 当館蔵 (撮影:山﨑信一)
澄川喜一《そりのあるかたち》2020年 当館蔵 (撮影:山﨑信一)
澄川喜一《そりのあるかたち》2020年 当館蔵 (撮影:山﨑信一)

略歴
1931(昭和6)年 島根県吉賀町に生まれる。
1945(昭和20)年 山口県立岩国工業高等学校入学。錦帯橋の特性や構造を独自に研究。
1952(昭和27)年 東京藝術大学彫刻科に入学。平櫛田中、菊池一雄に学ぶ。
1958(昭和33)年 同大学彫刻専攻科を修了。副手となる。第22回新制作展に初出品(翌年≪S君≫他で新作家賞受賞)。
1961(昭和36)年 東京都清瀬市にアトリエを構える。塑像から木彫の抽象表現に転向。
1967(昭和47)年 東京藝術大学彫刻科の講師となる。≪MASK≫シリーズを展開し各地のコンクールで受賞。
1976(昭和51)年 文部省在外派遣研修員として渡欧。
1979(昭和54)年 ≪そりのあるかたちー1≫で第8回平櫛田中賞受賞。
1980(昭和55)年 ≪そりとそぎのあるかたち≫で第11回中原悌二郎賞優秀賞受賞。
1981(昭和56)年 東京藝術大学彫刻科教授に就任。
1988(昭和63)年 山口県庁前庭の野外彫刻≪鷺舞の譜≫を中心とした環境造形で第13回吉田五十八賞受賞。
1995(平成7)年 東京藝術大学学長に就任。
2001(平成13)年 島根県立美術館の野外彫刻≪風門≫で第10回本郷新賞を受賞。東京藝術大学退官。名誉教授となる。
2003(平成15)年 恩賜賞・日本芸術院賞受賞。
2005(平成17)年 島根県芸術文化センター長に就任。
2006(平成18)年 東京スカイツリー®のデザイン監修者に就任(2012年開業)。
2008(平成19)年 文化功労者に顕彰。
2012(平成24)年 岩国市名誉市民、および清瀬市名誉市民となる。
2013(平成25)年 横浜市文化賞、および中国文化賞受賞。
2017(平成29)年 島根県吉賀町に「澄川喜一記念公園 彫刻の道」が完成。
2020(令和2)年 文化勲章受章。
2021(令和3)年 島根県県民栄誉賞。
2023(令和5)年 逝去(91歳)。

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