《venus kiss》2023年|紙本着色|130.3×162.0cm

名称:開発の再開発 vol.4「松平莉奈|3つの絵手本・10歳の欲」Gallery αM
会期:2024年1月20日(土)~3日16日(土)
開館時間:12:30〜19:00
休館日:日月祝休
入館料:場無料
ゲストキュレーター:石川卓磨(美術家・美術批評)
住所:〒101-0031 東京都千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビル B1F
TEL:03-5829-9109
URL:Gallery αM

(左)《鵺の解体》2017年|紙本着色|181.7×227.3cm 撮影: 乃村拓郎
(中)《解毒の作法》2021年|紙本着色|53×72.7cm (20P) 個人蔵
(右)《聖母子》2022年|紙本着色|150×168cm 撮影:乃村拓郎 協力:カトリック玉造教会 天祐寺蔵
(左)《鵺の解体》2017年|紙本着色|181.7×227.3cm 撮影: 乃村拓郎 (中)《解毒の作法》2021年|紙本着色|53×72.7cm (20P) 個人蔵 (右)《聖母子》2022年|紙本着色|150×168cm 撮影:乃村拓郎 協力:カトリック玉造教会 天祐寺蔵

3つの絵手本・10歳の欲
松平莉奈
「誰かを搾取することなしに、楽しく世界を欲望するには?」
絵手本とは近世・近代に出版された、絵のお手本が印刷された本、いわば絵の教科書だ。
人物、動植物、風俗、歴史故事、外国の文物……など内容は多岐に渡り、当時の百科事典的な役割もしていたらしい。
これと筆一本があれば、世界のありとあらゆるものを描くことができる(そしてそのまま懐に収めてしまうことができる)というわけである。
それはきっとすごくワクワクすることだっただろう。
こうした絵手本は明治時代の学校教育にも影響を与え、図画の授業は絵手本の模写が中心だったそうだ。
コロナ禍で美術館も図書館も閉まり、授業もリモートだった2020年、私は個展「うつしのならひ 絵描きとデジタルアーカイブ」(ロームシアター京都)を開催した。*
大学などの所蔵機関が公開している絵手本のデジタルアーカイブからリンク集を作り、それぞれ模写してみて、「誰でも、どこからでも」絵を学ぶことのできるモデルを提案する、という趣旨だった。デジタルアーカイブの模写は、端末とネット環境さえ用意すれば誰でも実践可能だ。絵手本もデジタルアーカイブも、どんな人も同じようにアクセスできる点で、画期的で魅力ある媒体だと感じた。
3年経った今、私自身の「誰でも、どこからでも」という謳い文句をふりかえる。それってあまりに楽観的な気分に根ざしてはいなかっただろうか、と思う。用意した1つのシステムに誰も彼も当てはめることができると考える暴力的な面を、見落としていたのではないか?
今回、3つの絵手本をモチーフに作品を制作した。
1つは1932年(昭和7年)に文部省が発行した『尋常小学図画』、1つは1937年に日本統治下の朝鮮で総督府が発行した『初等図画』。どちらも10歳前後の子どもたちが使う教科書だ。
もう1つは1852年にイギリスで出版された絵画指南本、Robert Scott BurnのThe Illustrated London Drawing-Bookで、のちに改訂版を川上冬崖が翻訳した『西画指南』(1871)は日本の図画教育の起点となっている。
ずれながらも共通する絵柄を模写していると、お手本の線の内に潜む、ある欲が浮かび上がってくる。すなわち、支配欲。
10歳の子どもが持ちうる欲を腑分けしていく必要があると思う。誰かを搾取することなしに、楽しく世界を欲望するために。
* 専用のWebサイトも作成。「デジタルアーカイブ模写派! 近世近代絵手本デジタルアーカイブを絵手本として利用するサイト」
https://ehonlist.matsudairarina.com/

「もつれ」を描く

石川卓磨
 人間が描くすべての絵画は、具象抽象を問わず身振りの痕跡として存在している。画家が描くことは、素材や環境との対話であり、イメージや歴史との対話である。その積み重ねから個人で自己の絵画を確立していく。
 しかし、画家も子供の時には、誰かから絵を教わっている。義務教育の図画工作や美術の授業では、絵を描く機会が与えられ、指導や評価を経験する。描く技術の習得とは、先史時代から現代に至る人間の普遍的な欲求の一つだ。子供にとって自主的な試みを評価されたり技術的な向上を実感したりすることは、他では得難い喜びや関心を生み出す。
 一方で国家が子供に美術の学習機会を提供することは自明ではない。美術の授業が義務教育から消えることや、学習機会の平等性が失われることもあり得る。義務教育での美術の授業は、単に技術を学ぶだけでなく、理想とされる人間性の育成が目的に含まれている。この人間性のモデルや、美術教育において指導・評価される価値観や感性は普遍的なものではない。それには特定の時代や国家が求める価値観が反映されている。明治以降、近代化を志した戦前の日本の美術教育では、西洋文化の価値や技術を吸収しながら、国家主義や伝統との調和の学習が規律訓練的に組み立てられていた。日本が長期間植民地統治していた朝鮮・台湾・満州での美術教育を見るならば、無害に見える課題であっても、植民地教育の政治的意図が潜在的に含まれていることが示される。
 義務教育での美術の授業が成立するためには、子供の描けるようになりたいという普遍的な欲求と、子供に美術の学習機会を提供すべしという国家的要求が、合致しないまでも共振する必要がある。しかしここでは、個人と国家それぞれが成長していく過程として抱く欲望の間に「もつれ」もまた生じ得る。
 日本画の技術や歴史を学び実践に結びつけながら、「他者についての想像力」をテーマにしてきた松平莉奈が、明治以降の近代化の過程で形成された日本の美術教育に対し、批判的関心を寄せたことは必然だろう。
 これまで松平は「もつれ」を紐と結びつけ、歴史、心理、社会などに生まれている矛盾や複雑性を表現するモチーフとして使用し続けてきた。もつれとは、一般的には絡まり合うことで自己や他者を縛る身動きがとれない状態を想起させるが、彼女が描く「もつれ」は、視覚的にも意味的にも動的な印象を作り出していることに特徴がある。松平にとって「もつれ」とは、ジレンマや葛藤を表現するものでありながら、同時に他者と関係できるネットワークであり、感情の吐露であり、身を隠す障壁であり、ステレオタイプから逸脱するための罠であり、思考するエネルギーそのものであったりする。松平は、新しいフロンティアを求めて拡大する帝国主義的開発を批判し、「もつれ」によって批判的再開発(再ネットワーク化)を試みる。そして、それでも絵画によって目と心を動かそうとすることは、世界の絶望的状況に思考停止せずサバイブする意志と欲望の態度だといえるのではないだろうか。
▊松平莉奈 まつだいら・りな▊
1989年兵庫県生まれ。京都府在住。日本画の領域で培われた技術や画材を咀嚼しながら、他者について想像することをひとつの主題とし、人物などを中心とする具象画を制作している。近年の主な個展に「蛮」KAHO GALLERY(京都、2023)、「うつしのならひ 絵描きとデジタルアーカイブ」ロームシアター京都(2020)、「悪報をみる—『日本霊異記』を絵画化する—」KAHO GALLERY(京都、2018)など。主なグループ展に「それを故郷とせよ(手が届く)」TALION GALLERY(東京、2022)、「Slow Culture」京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(2021)、「ないじぇる共創ラボ展 時の束を披く 古典籍からうまれるアートと翻訳」国文学研究資料館(東京、2021)など。

《venus kiss》2023年|紙本着色|130.3×162.0cm
《venus kiss》2023年|紙本着色|130.3×162.0cm

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