「植田正治の1980年代―砂丘、ふたたび」植田正治写真美術館

「植田正治の1980年代―砂丘、ふたたび」植田正治写真美術館

名称:「植田正治の1980年代―砂丘、ふたたび」植田正治写真美術館
会期:2024年6月15日(土)〜9月8日(日) 
会場:植田正治写真美術館
観覧料金:一般1,000円
休館日:火曜日(8月13日は開館)
住所:〒689-4107 鳥取県西伯郡伯耆町須村353-3
tel.0859-39-8000
URL:植田正治写真美術館

「植田正治の1980年代―砂丘、ふたたび」植田正治写真美術館
「植田正治の1980年代―砂丘、ふたたび」植田正治写真美術館

「画家とちがって、写真家は、どんな世代であっても、“過去”に足踏みすることは、消滅につながる。“今”が撮れる“生臭さ”が、いくつになっても必要なのだ。」とかつて記していた植田正治が、1983年、70歳になり突然ファッション写真を発表している。鋭い時代感覚と感性が必要とされるファッションの分野への新たな挑戦であった。それでも、植田のイメージは高く評価され、その後も多くのファッションの仕事の依頼を受けている。この無謀ともいえる挑戦には、植田自身が決して語ることのなかった背景がある。
1983年3月、植田は妻の紀枝さんを亡くしている。病気療養中ではあったようだが、回復を信じていた植田の無念さは、写真が撮れないほどだったようだ。そんな植田を励まし、ふたたび写真を撮るように仕事を用意したのが、次男の充氏だった。アート・ディレクターの仕事をしていた充氏は、依頼による仕事であれば、植田の性格からして断ることなく、写真家としての意欲を取り戻してくれると考えた。そして、植田のかつてのホームグラウンド、砂丘での撮影を提案したのだ。戦後間もなく、自身のスタイルのひとつの完成形として、自信をもっていた浜辺や砂丘での演出写真から離れていた植田にとっては、30年の時を超えた砂丘での演出写真、まさにリバイバルとなった。
植田は1980年代、ファッションをはじめ「仕事の写真」を多く手がけるが、同時に「自分の写真」を常に追い求めていた。本展では、妻の死を乗り越えふたたび写真と真摯に向き合った写真家の姿を浮き彫りにする。

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