「久万美の原点―洲之内徹」久万高原町立久万美術館

「久万美の原点―洲之内徹」久万高原町立久万美術館

名称:「久万美の原点―洲之内徹」久万高原町立久万美術館
会期:2024年9月14日(土)〜12月8日(日) 
会場:久万高原町立久万美術館
観覧料金:当日一般1,000円
休館日:月曜日(9月16日、9月23日、10月14日、11月4日は開館)、9月17日、9月24日、10月15日、11月5日
主催:町立久万美術館、久万高原町、愛媛新聞社、愛媛CATV
後援:NHK松山放送局、南海放送、テレビ愛媛、あいテレビ、愛媛朝日テレビ、FM愛媛、高知新聞社、RKC高知放送、愛媛県、愛媛県教育委員会、松山市、松山市教育委員会、久万高原町教育委員会
協力:愛媛県立松山東高等学校、松山中学・松山東高同窓会、愛媛県立伊予農業高等学校
助成:一般財団法人自治総合センター
〒791-1201 愛媛県上浮穴郡久万高原町久万212
TEL:0892-21-2881​
URL:久万高原町立久万美術館

「久万美の原点―洲之内徹」久万高原町立久万美術館
「久万美の原点―洲之内徹」久万高原町立久万美術館

久万美術館は2024年3月に開館35周年を迎えた。同館の根幹をなす井部コレクションの多くは、美術評論家・洲之内徹が経営する現代画廊から購入されている。この度、現代画廊ゆかりの作品約70点が一括して同館に寄贈されることとなった。これは、寄贈者の故・桑田勝美氏、後藤洋明氏、和田章一郎氏、N氏を始め、山田和子氏の協力を得て実現した。本展ではその作品群を紹介する。
洲之内徹は、1913年松山市で生まれた。学生時代を市内で過ごし、1930年東京美術学校建築科に入学。左翼運動に従事したことで除名処分になり、松山に帰郷。逮捕を経て、転向を強いられた後は、軍嘱託として戦時の中国で過ごした。帰国後は小説を執筆し、数度の芥川賞候補にもなった。1952年にふたたび上京。1961年に、田村泰次郎から現代画廊の経営を引き継ぐと、1987年に74歳で亡くなるまで、精力的に活動し続けた。
洲之内は画廊経営の傍ら、『芸術新潮』誌上で美術エッセイ「気まぐれ美術館」を執筆していた。連載は人気を博し、亡くなるまで14年にわたり続いた。時に、美術に無関係にも思える記述が延々と続き、読者を煙に巻く内容も少なくない。しかし、一見脇にそれたかのように思われる文章からも、氏がものを見る目、美術に対する姿勢が一貫して窺える。「いったい私は何を言うつもりだったのか、最後へきてまた分からなくなってしまったが、そんならこうでもいい。絵は理屈で描くものではないし、描けるものでもない」。「描く」ことに限定されない、ものを「見る」ことにも共通する洲之内の考えが表れた言葉である。
そうした姿勢により、萬鉄五郎、村山槐多、長谷川利行など、当時評価が定まっていなかった作家も今では美術史上重要な作家に位置付けられている。一方で、現代画廊の展覧会や「気まぐれ美術館」で取り上げた数多くの作家を通して、洲之内がどのような「眼」で、美術に接してきたか窺える。洲之内は、「批評家に借りた眼鏡を捨てて(中略)思い切って自分の裸の眼を使うこと」で絵が「見える」ようになるという。他者からの借り物の見方ではなく、洲之内の素直な感慨によって作品が集まったのが現代画廊だったのだ。
本展では、開館35周年にあたり、現代画廊ゆかりの作家を展示することで久万美術館の原点に立ち返るとともに、その精神が現代にどのように受け継がれているかを展望する。

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