「没後10年 作家 車谷長吉展」姫路文学館

「没後10年 作家 車谷長吉展」姫路文学館

名称:「没後10年 作家 車谷長吉展」姫路文学館
会期:2025年4月19日(土)〜2025年6月22日(日)
会場:姫路文学館
開館時間:10:00 〜 17:00
休館日:月曜日
   5月5日は開館
   5月7日は休館
入場料:一般 800円、大学生・高校生 460円、中学生・小学生 220円
主催:姫路文学館
後援:朝日新聞姫路支局、NHK神戸放送局、神戸新聞社、産経新聞社、サンテレビジョン、播磨時報社、播磨リビング新聞社、姫路ケーブルテレビ、姫路シティFM21、毎日新聞姫路支局、読売新聞姫路支局、ラジオ関西
住所:〒670-0021兵庫県姫路市山野井町84
TEL:079-293-8228
URL:姫路文学館

「没後10年 作家 車谷長吉展」姫路文学館
「没後10年 作家 車谷長吉展」姫路文学館

平成の世に現れ、「最後の私小説作家」と呼ばれた姫路出身の直木賞作家・車谷長吉。その死からはや十年の時が経ちました。一語一語にこだわり抜いた鬼気迫る無二の文学世界は、今も多くのファンの心を揺さぶり続けています。
二十六歳のデビューから苦汁をなめつづけ、最初で最後のつもりで世に問うた作品集『鹽壺の匙』によって四十七歳にして一躍、文壇の注目を浴びた車谷。白洲正子や安岡章太郎らに高く評価され、江藤淳をして「文学をやっていて良かった」と言わしめた気骨と品格をそなえた車谷文学は、作家が歩んできた孤独で長く苦しい道のりにこそ、その神髄があるといえます。
このほど、妻で詩人の高橋順子さんより、東京都文京区の終の住処「蟲息山房」に作家が残した遺品が当館に一括寄贈されることとなりました。遺愛の品々に加え、蔵書は約千冊、ノートやメモ、原稿類は約五百点、書簡類は約二百点にのぼります。
本展では、これらの膨大な資料により、生真面目でわがままで臆病で虚栄心ばかり強かった「車谷嘉彦」という少年が、いかに反時代的精神を背負った文士・車谷長吉として屹立していったのかをひもときます。自らが経験してきたあらゆる「実」を小説としての「虚」が破り、あの独自の作品世界が完成するまでの長い物語。また、「毒虫」を自称した異形の作家像や作品世界とは異なる、少年のような繊細さと純粋さを秘めたその実像にもせまります。虚実が恐ろしいほどに巧みにからみあった禁断の「車谷ワールド」をどうぞ存分にお楽しみください。

車谷長吉プロフィール
本名・車谷嘉彦 昭和20年(1945)飾磨市下野田(現在の姫路市飾磨区下野田)に、4人きょうだいの長男として生まれる。双葉幼稚園、飾磨小学校、飾磨中部中学校、市立飾磨髙等学校を経て、慶應義塾大学文学部独文科卒業後、広告代理店・中央宣興に就職するが25歳で辞職し、小説を書き始める。26歳の時、「なんまんだあ絵」でデビュー。30歳の時、東京での作家生活が破綻し、故郷へ戻る。以後7年間、料理屋の下働きをしながら、関西各地を転々とする生活を送る。36歳で発表した「萬蔵の場合」が、芥川賞候補となり、38歳で再び作家となる覚悟を決め上京。47歳で上梓した初の作品集『鹽壺の匙』(平成4年 新潮社)で、平成5年(1993)、第43回芸術選奨文部大臣新人賞と第6回三島由紀夫賞をW受賞。48歳の時、詩人の高橋順子と結婚。平成9年(1997)、『漂流物』で第20回平林たい子賞受賞。平成10年(1998)、53歳の時「赤目四十八瀧心中未遂」で第119回直木賞を受賞。平成13年(2001)、「武蔵丸」で第27回川端康成文学賞受賞。平成15年、荒戸源次郎監督により「赤目四十八瀧心中未遂」が映画化され、その年度の映画賞を独占した。平成22年(2010)、『車谷長吉全集』3巻(新書館)を刊行。平成27年(2015)5月17日、誤嚥による窒息のため急逝。69歳。

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