「𠮷田千鶴子 ── 踊れ、謳へ、描け 戦後の熱き時代を生きた美術家」三鷹市美術ギャラリー
- 2025/6/3
- 東京
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名称:「𠮷田千鶴子 ── 踊れ、謳へ、描け 戦後の熱き時代を生きた美術家」三鷹市美術ギャラリー
会期:2025年7月5日(土)〜2025年9月7日(日)
会場:三鷹市美術ギャラリー
開館時間:10:00 〜 20:00
休館日:月曜日
7月21日、8月11日は開館
7月22日、8月12日は休館
入場料:一般 400円、65歳以上・大学生・高校生 200円、中学生以下・障がい者手帳提示と付き添い1名 無料
住所:〒181-0013東京都三鷹市下連雀3-35-1 CORAL5F
TEL:0422-79-0033
URL:三鷹市美術ギャラリー

𠮷田(旧姓:井上)千鶴子は、1948年に油彩画家として出発し1950年代中頃から版画家として活躍した三鷹ゆかりの作家です。
1924(大正13)年横浜で生まれ東京で育った千鶴子は、戦争の足音が迫る時代に佐藤高等女学校(現・女子美術大学付属高等学校)油彩科を卒業し、その後も画家を目指して学び続けました。1948年に前衛芸術家・岡本太郎主宰のアヴァンギャルド芸術研究会に参加し、以後は自らの画風を抽象へ移行させました。
こうした千鶴子の創作活動は、1953年に版画家・𠮷田穂高(1926-1995)と結婚したことで大きく変化します。1950年代に入り日米間の文化交流が活性化するなかで、千鶴子は𠮷田家の一員として版画制作に携わり、色彩感覚に優れた完成度の高い抽象版画を数多く生み出しました。1956年には日本で初の女性による版画団体である女流版画会を結成(65年まで活動)。1967年から一家で三鷹市井の頭に居住し、晩年まで当地で制作活動を継続します。1970年グレンヘン国際色彩版画トリエンナーレ展で受賞を果たし、1970年代後半から開始した身近な生きものや植物を題材にした作品は幅広い層から支持され、その創作意欲は晩年まで尽きることがありませんでした(2017年没)。
本展では、版画家・𠮷田穂高の伴侶、日米間で活動した版画一家「𠮷田ファミリー」を支えた存在にとどまらず、𠮷田千鶴子という戦後を生きた一人の女性美術家の軌跡をご紹介します。













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