秋期原画公開「葵から菊へ ~〈白書院〉一の間・二の間~」元離宮二条城

二の丸御殿障壁画〈白書院〉一の間北面《西湖図》(部分)

名称:秋期原画公開「葵から菊へ ~〈白書院〉一の間・二の間~」元離宮二条城
会期:2024年10月10日(木) 〜 2024年12月8日(日)
会場:元離宮二条城(二条城障壁画 展示収蔵館)
時間:9:00~16:45(入館は16:30まで)
   ※二条城の開城時間は8:45~17:00(入城は16:00まで)
休館日:会期中無休
料金:100円(二条城への入城料は別途必要です)
    ※京都市内在住・在学の小中学生、京都市内在住の70歳以上の方(住所・年齢を確認できる方)、各種障害者手帳等をお持ちの方は入館無料
住所:〒604-8301京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
TEL : 075-841-0096
URL:元離宮二条城

二条城二の丸御殿障壁画(重要文化財)原画を保存・公開している二条城障壁画展示収蔵館。令和6(2024)年度の秋期展では「葵から菊へ」と題し、二の丸御殿の最奥に位置する〈白書院〉一の間・二の間の障壁画をご紹介します。
江戸に幕府を開いた徳川家康によって慶長8年(1603)に創建された二条城。寛永3年(1626)の後水尾天皇の行幸のため、城の敷地が西に拡張されるなど大改修が行われ、そして慶應3年(1867)の10月には二の丸御殿で15代将軍・慶喜が大政奉還の意思を示し、朝廷がこれを認めたことで250年に渡る徳川幕府の時代は幕を下ろしました。
そして明治17年(1887)、二条城は天皇の別邸「二条離宮」に改められ、それから明治30年代にかけて皇室の宮殿に相応しいものになるよう、宮内省によって二の丸御殿の修繕が行われました。
本展で紹介する〈白書院〉は、江戸時代には「御座の間」と称され、将軍の居室として使用された部屋で、二条離宮となった後には天皇の御座所となりました。
二の丸御殿の中には、かつての主人・徳川家の家紋「三つ葉葵紋」が飾り金物としていたるところに散りばめられており、〈白書院〉にも同様の設えがされていました。
しかし、新たな主人である天皇がくつろぐ場としては「三つ葉葵紋」は相応しくありません。そこで明治19年(1889)、明治天皇を迎える準備として〈白書院〉だけは格天井の辻金物や帳台構の縁金物にあった「三つ葉葵紋」が、上から被せたり取り換えられるなどして皇室を示す「菊紋」に換えられました。また、年代は不明ですが、襖の引手金具も菊紋を施したものに取り換えられました。
〈白書院〉は他の棟を彩る金碧障壁画と異なり、水墨画で障壁画が描かれている点が特徴です。水墨画には中国浙江省に実在する名所・西湖の湖岸の風景が俯瞰の視点で描かれ、落ち着いた雰囲気が演出されています。違い棚を除けば、どの画面も下部を水辺としており、湖上に浮かべた船に乗って岸辺を見渡すような景観が部屋中に広がります。
西湖図は日本において室町時代以降に好んで描かれた、水墨画を代表する画題のひとつです。水墨による山水図は最も格式高い場所に描かれることが多いことから、天皇が過ごす場所である〈白書院〉の一の間・二の間の部屋の格式に呼応して西湖図が描かれたと考えられます。
江戸から明治へ、将軍から天皇へ。〈白書院〉一の間・二の間に描かれた水墨障壁画を、この機会にご高覧ください。

二の丸御殿障壁画〈白書院〉一の間北面《西湖図》(部分)
二の丸御殿障壁画〈白書院〉一の間北面《西湖図》(部分)

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