名称: 「イタリア俗語」イタリア文化会館東京
会期:2021年10月1日(金)~30日(土)
開館時間:11:00~17:00(日曜休館)
ただし10月10日(日)は11:00~18:00開館します。
会場:イタリア文化会館エキジビションホール
入場:無料
※10月1日(金)は参加アーティストを代表して吉田萠氏が在室します。
主催 : Istituto Italiano di Cultura di Tokyo
住所:〒102-0074東京都千代田区九段南2-1-30
TEL:03-3264-6011
URL:イタリア文化会館東京
Italia Zokugo(イタリア俗語)は、イタリア美術のしばしば理想化され時代錯誤な、実際とは異なるイメージからほとばしり出る可能性について探究するプロジェクトです。作品や批評、関係者の証言を通して、イタリアの現代美術の担い手たちが思いも寄らない、時にはカリカチュア的とも言える形で、西洋の視覚芸術の伝統やその表現方法を、自らの手段として取り入れていることをつまびらかにし、イタリア美術の現在進行形の表現を紹介するプロジェクトです。
昨年10月に開催したビデオインスタレーションPatternや鼎談に続き、今回、同プロジェクトを締めくくる企画として、ガブリエーレ・トージ氏のキュレーションによる10人のアーティストの作品展を開催します。
参加アーティスト
ファブリツィオ・ベッローモ Fabrizio Bellomo
1982年バーリ生まれ、ミラノ在住。
ベッロ―モは、メディアの分析を介しイメージによって行使される権力のメカニズムを芸術を通じて明らかにしようとしている。この多才な作家は、作家、映画監督、展覧会及びフェスティバルのキュレーターとしても活躍している。
ロレンツァ・ボイジ Lorenza Boisi
1972年ミラノ生まれ、ヴァレーゼ県ラヴェノ・モンベッロ在住。
媒体の性質を反映させつつ、アカデミックさと素朴性を織り交ぜた絵画と陶芸を制作している。現代イタリアのカルチャーシーンを推進し、現代の表現と絵画にまつわる多くのプロジェクトの創始者である。
クリスティアン・キローニ Cristian Chironi
1974年サルデーニャ州ヌオーロ生まれ、ボローニャ在住。
パフォーマンス、ビデオ、写真をクロスさせながら表現を行う。現実を虚構とイメージの篩にかけるこの作家のプロジェクトは、集合的記憶と歴史的人物像の書き直しを試みている。
ミケランジェロ・コンサニ Michelangelo Consani
1971年リヴォルノ生まれ、トスカーナ州カステッランセルモ在住。
コンサニの作品はしばしば多くの要素から構成され、それらは各々特定の役割を担い、政治的、詩的な風景を形作る上で互いに共働し合う。作家により用いられるオブジェは、象徴的な生命力を踏査しつつ、支配的なものの見方に代わる可能性を作品空間の中に分散させながら、世俗的な価値そのものを超越している。
クレオ・ファリゼッリ Cleo Fariselli
1982年エミリア・ロマーニャ州チェゼナーティコ生まれ、トリノ在住。
彫刻と絵画の制作を行いながら、経験を通じて芸術作品を享受する低周波のパフォーマンス性を追求している。
ステファノ・ジューリ Stefano Giuri
1991年プーリア州ネヴィアーノ生まれ、フィレンツェ在住。
少数の者の持つ知識から明らかになる、地下に潜む秘密の物語やオブジェやサイン。これらは、儀式や祝いごと、西洋の具象的な風景の特徴的なカタチを呼び起こす、痛烈な表現の要素である。現代美術の分野でキュレーターとしても活動を展開、フィレンツェのTosto Project Spaceの運営を行っている。
ファブリツィオ・ぺルゲン Fabrizio Perghem
1981年トレンティーノ・アルトアディジェ州ロヴェレート生まれ、ミラノ在住。
環境アートのコンセプトから出発した彼の作品が顕示するのは、形態的な変容を誘発し、不誠実なイマジネーションを構築する地域社会の景観に対する彫刻的な姿勢である。彫刻と音を用いた作品制作を通じて、視覚の優位性を抑制した、非直接的な記録の在り方についての実験を行っている。
ジュリオ・サヴェリオ・ロッシ Giulio Saverio Rossi
1988年トスカーナ州マッサ生まれ、トリノ在住。
現代的イメージに、非今日的な媒体の批評的可能性を対峙させ、絵画制作を介して表現活動を行っている。伝統的な技法と制作プロセスを復活させながら、彼の作品は視線に関わる文化的現象の、歴史的、科学的動機についての探究を行う。
ダヴィデ・マンチニ・ザンキ Davide Mancini Zanchi
1986年ウルビーノ生まれ、マルケ州アックアラーニャ在住。
彫刻、絵画、作陶やパフォーマンスといった伝統的な媒体が、一般的で安価なものと役割や機能を交換し合うオブジェや状況をつくる。しばしばカラフルで、遊び心を備えた楽し気な作品には、コンセプチュアルで創造的な文化の、反抗的な側面や強迫観念が内包されている。
吉田萠 Moe Yoshida
1975年加古川生まれ、ボローニャ、ニューヨーク在住。
言葉を、異なる種を結び付けるフィールドとして捉える吉田の作品は、彫刻と舞台装置、抽象絵画と解剖図の間に位置している。彼女の仕事は頻繁に、様々な表現の分野を横断するマルチ・ディシプリナリーのプロジェクトやコラボレーションの起爆を促す。
マッテオ・コルッチャ Matteo Coluccia
1992年ネヴィアーノ生まれ、フィレンツェ在住。
画家、彫刻家、パフォーマー。イメージの創造と破壊の関係に着目している。イタリア俗語ではヴィジュアルアイデンティティーとカタログ制作を担当する。イタリアの公的な文書に見られる文字や構成と、大衆向けの出版物や日本の伝統的な出版物に見られる文字や構成を取り混ぜて制作した。
ガブリエーレ・トージ Gabriele Tosi
インディペンデントキュレーター。展覧会を研究、変容、共有、概念化の時間として捉えている。他のキュレーターや作家とコンスタントに共働を行い、2015年からボローニャ市を拠点とする非営利アートスペース、localedueの運営を手掛けている。書いたものにはたまにしかサインをせず、それらを作家や美術機関が彼らの技術的な目的や拡散のために好きに用いるのに任せている。
************************
10名のイタリアのアーティストによる作品が、ガエ・アウレンティ設計によるイタリア文化会館の広いエキジビションホールの中で、空間と干渉しあいながら博物館の展示室めいたイメージを形作っている。一見するとアカデミックな展覧会のように見えるが、しばらくするとそこからざわついた何かが姿を見せ始める。古典的なカタチは、不意のぶつかり合いやゆっくりとした動きにリズムを与える内奥からこみ上げる衝動に促され、息づいている。美術史は、ダンスがしたいという欲望に囚われたのだ。そうして、周遊、窃盗、強奪、逃亡、サボタージュが繰りひろげられる。
イタリア俗語は、イタリア美術と聞くと脳裏に浮かぶ、世界的に認知されている伝統的で紋切型のイメージから誕生した。この展覧会プロジェクトで焦点となるのは、作品展に参加している幾人かの作家が行っている、西洋の視覚的遺産を基にする土地に根付いた、方言的、かつカリカチュア的な語法である。作り手たちは、実態にそぐわない媒体や、時代遅れのカタチ、または時間から見放されたシンボルを介して、個人的な世界観を強固にしながら、美術の歴史の重みへひとつの脱出口をもたらしている。
このグループ展には、世代の異なる作家たちが参加している。イタリア、欧州を中心に高い評価を得ている作家の名前と、若い世代の作家の名前を並べることにより、展覧会を観る人たちに、洗練さと俗っぽさの間で、様式と嗜好の変化に対して無傷でいる近年のイタリアの美術を横断するような、大衆的な傾向に対する広い眺望を提示するためである。その点も鑑みて、今回紹介する作家のグループを形成するにあたり、作り手が自らの仕事の特殊性を注意深く意識しながら行う深い自己探究と美学的思考を基準のひとつとした。
イタリア文化会館主催のこのプロジェクトに関連して、「イタリア現代アートの日」のために二年間に渡り様々な活動が展開されてきた。前半は2020年度に実施され、そこでは、ディエゴ・ズエッリ(1979年、レッジョエミリア出身)のビデオインスタレーション作品Patternの展示、および作家のスタジオをめぐるドキュメント映像アーカイヴInstudio(ダヴィデ・ダニノス、ヤコポ・メンザーニ、エレナ・ダンジェロ製作)からジュリア・チェンチ、アレッサンドロ・ディ・ピエトロ、レナート・レオッタ、ルイジ・プレシッチェ、ファブリツィオ・プレヴェデッロそしてシッシのスタジオを物語る6本の映像作品に、新たに日本語字幕をつけて上映し、キュレーターの金井直氏(現代日本の制度的文脈におけるイタリア美術)、波岡冬見氏(アーティスト荒木経惟固有の俗語性について)、およびピエル・ルイジ・タッツィ氏(2003年に手掛けた森美術館のオープニングを飾った展覧会、ハッピネスについて)による鼎談を、ボローニャ近代美術館MAMboからのライヴ中継を通して開催した。
イタリア俗語の記録は、作家マッテオ・コルッチャのグラフィックによる限定版カタログの中に集約されており、“手作り”という点に日伊両国の文化を繋げる意図を込めて、半工芸的なプロセスを経て製作された。
イタリア俗語は、プロジェクトの提唱者であるGALLERY TAGA2の田賀ひかると作家吉田萠との継続的な協力のもと、ガブリエーレ・トージにより企画、キュレーションされた。
ガブリエーレ・トージ
(訳:吉田萠)
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。