「山下紘加 YAMASHITA Hiroka」東京オペラシティ アートギャラリー

《森、再訪》 油彩,麻布 162.0 × 130.0 cm 2021

名称:「山下紘加 YAMASHITA Hiroka」東京オペラシティ アートギャラリー
会期:2021年10月09日[土] ─ 12月19日[日]
会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール
開館時間:11:00 ─ 19:00(入場は18:30まで)
休館日:月曜日
入場料:企画展「和田誠展」、収蔵品展072「難波田史男 線と色彩」の入場料に含まれます。
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団
住所:〒163-1403東京都新宿区西新宿3-20-2
TEL:03-5777-8600
URL:東京オペラシティ アートギャラリー

山下紘加 待つ絵画、あるいは「優しさ」の世界
ニューヨークおよびニュージャージーで絵画を学んだ山下紘加は、絵具の流動性を巧みに扱いながら、洗練された構図と色彩により、自然と人とのつながりや日常における命のいとなみ、人生における記憶や気づきの瞬間などを暗示的に描こうとしている。その作品では、色彩と色彩の透明な重なり合いや優美で軽やかな線が、的確に、過不足無く、目的にかなう働きをして、イメージに輝きと緊張感をもたらしている。そこに見られる空漠としたひろがりと、それを満たす清新な気分、雰囲気は、山下作品の大きな魅力である。

《松の木の夕刻》 油彩,キャンバス 139.5 × 121.5 cm 2019 個人蔵
《松の木の夕刻》 油彩,キャンバス 139.5 × 121.5 cm 2019 個人蔵

自然はそこで、絶えることのない大いなる恵みとして、また束の間の儚なさ、脆さとして現れ、ときに夢幻的な様相を呈している。人物はしばしば大胆にデフォルメされ、そのことで身体感覚や動きが強調され、不思議なリアリティと説得力を獲得している。ときに画面の抽象化の度合いは強まり、具体的な対象の判別を難しくしているが、それでも人間の身体やその一部、顔の目鼻などが示唆され、あるいは少なくとも人の気配は濃厚であり、山下がつねに人が生きるいとなみ、その所作に関心を置いていることが分かる。

《本当のこと》 油彩,麻布 60.5 × 50.0 cm 2021
《本当のこと》 油彩,麻布 60.5 × 50.0 cm 2021

山下の制作は、なにかを描写するということを意識せずに、むしろ思い浮かんだ線やフォルム、色彩を自由に画面に置いていくことから始まる。まず思うがままに描いて、ついでそこに出てきた模様や動きなどに、さまざまなモチーフを見出していくという。「頭を使わずにたまたま出てきたものを生かす」とか、「画面と対話しながら、それに触発され、導かれながら描く」という方法が、山下の制作の基本となっている。山下作品にみられる一定の空間や場面設定、あるいはある種の物語性は、そうした手続きを踏むなかで、画家のなかでその都度、徐々にかたちを取り始めるものなのだ。その多くは、山下自身が実際に行った場所や、体験した状況に根ざしている。そのことは作品の不思議なリアリティを裏打ちしていると思われるが、しかしその場面に配される人物たちは、ほとんどが想像によるものだという。いずれにせよ、山下の作品を見る者は、描かれた人物やモチーフ間の関係性が、曖昧でありながらしかし確かな強度と緊張をはらんでいること、そしてそれがあるひとつのベクトル、いわば高められた日常、清められた日常とでもいうべき、いわば高次の、浄化された境地に向かうベクトルを示していることに気づかざるを得ない。
山下自身も、制作のたびに自分が画面に見出す場面設定や物語性には、なにか共通するものがあることに気づいてきたし、それによって確認してきたのは、人間の「優しさ」を描きたいという自己の深い願いであったという。山下によれば、じっさい作品のなかで示される場面設定や物語性、関係性には、「他者に与える」「見守る」「寄り添う」「許す」「教える」「育てる」「待つ」といった行為がたえず含意されているという[註1]。それらの行為は、山下が考える人間の「優しさ」の内実にほかならないのだが、さらに重要なことに、山下は、その「優しさ」は、いずれも大いなる「自然」が、その存在を通して人間に示し、教えてくれているものだという。山下の作品における「自然」の表現の豊かさ、重要さはこのことに符合している。
高校を卒業して単身渡米し、10年近く彼の地で苦闘しながら美術を学び、そしてアメリカ社会の一面において過酷な現実もかいま見た山下は、いつしか人間の「優しさ」、社会が忘れがちな深い意味での「優しさ」に希望を見出した。そして、生まれ育った兵庫県の豊かな自然、幼少期の自分を包みこみ、守り育んだ自然が体現する大いなる恵みに、人間が倣うべき「優しさ」の本源を見るようになったという。

《ロープ》 アクリル絵具,油彩,キャンバス 53.0 × 45.5 cm 2017-2021
《ロープ》 アクリル絵具,油彩,キャンバス 53.0 × 45.5 cm 2017-2021

他者との関係性や、そこに生まれる倫理の契機を念頭に、ある種の生活実践の意識をもって制作する若い画家は多い。しかし、人間と人間の関係性に注目するあまり、従来であれば芸術制作において大きな意味をもった「自然」の契機が閑却されるケースも少なくない。他者との関係性、とりわけ深く大きな意味での「優しさ」を大切にする山下が、その思考と制作を人間と自然との関係に根ざして立ち上げようとしていることは、非常に興味深い。
もちろん、山下の作品における場面設定や物語性は、必ずしも直接、説明的に描写されているわけではなく、むしろ暗示されるにとどまっている。山下の作品を見る者は、そこに描かれた人物やモチーフ間の関係性、曖昧でありながらも強固に存在し、緊張をはらんでいるその関係性に注目し、自らそこに参加することを求められているのではないだろうか。その意味で、山下の制作は、豊かなコミュニケーションに向けて、とりわけ見る者の「気づき」を促すことに向けて実践されているといえそうだ。山下の絵画は、我々の感性が開き、さまざまな「気づき」に向かう局面を、じっと優しく、待っているだろう。
[註1] たとえば、《松の木の夕刻》や《ロープ》に描かれた手をとりあう人物たちに、また《本当のこと》にみられる顔を寄せ合う2人の人物などに、それは典型的に見ることができる。

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