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中国陶磁器展1992静嘉堂文庫美術館 2009.05.17更新
静嘉堂文庫は、岩崎彌太郎の実弟で、三菱第二代の社長となった岩崎彌之助(1834~1908)によって創設され、その嗣子で三菱第四代の社長となった吉崎小彌太(1879~1945)によって拡充された。彌之助が文庫を開設し,本恪的な和漢の典籍の収集に乗り出しだのは明治25年(1892)であるが、古美術の収集に手を染めたのはそれより早く、明治9年(1876)の大名物、「付藻茄子茶入」・「松本茄子示入」の購入が最初である。その後、西洋文化偏重の世相の中でとかく軽視されがちであった東洋固有の文化の散亡をおそれで、明治20年代から30年代にかけ、刀剣、茶道具、文房具、書跡、絵画、仏教彫刻などが精力的に収集された。父の没後、収集活動を引き継いだ小彌太は、とくに東洋陶磁に関心をもち、中国陶磁を古代から清朝まで時代的・系統的に収集した。
文庫は駿河台の岩崎邸内、次いで高輪の邸内(現在の開東間)に設けられた。大正13年(1924)小彌太は、彌之助の17回忌にあたり、玉川の廟(設計ゾョサイア・コンドノレ)の敷地内に、現在の文庫を建設し(設計桜井小太郎)、昭和初年には文庫と並んで美術庫と鑑賞室(旧展示館)を付設した。昭和15年(1940)小彌太は財団法人静嘉堂を設立し、蔵書と文庫の一切を寄付して永存と研究利用を図った。また、美術館建設も意図したが、大戦により実現をみず、昭和20年(1945)12月逝去した。同年、遺言により収蔵美術品中の優品171点が財団に寄贈された。昭和51年(1976)小彌太夫人孝子の逝去に際し、養嗣子の岩崎忠雄理事長(1910~90)から重ねて同家に残された美術品の大部分が寄贈され、前回の寄贈と合わせてほば5,000点に達した。昭和52年(1977)6月静嘉堂文庫展示館開館。12年間の公開展示活動の後、昭和63年(1988)4月から平成4年(1992)3月まで美術館建設のため休館。昭和60年1985)に岩崎寛彌氏より11振の刀剣が寄贈され、また平成2年(1990)に岩崎忠雄理事長逝去により、遺族の淑子夫人・養嗣子の正男氏から美術品6点・公園用地等が寄贈された。
平成3年(1991)11月、静嘉堂文庫美術館竣工。静嘉堂文庫創設百年にあたる平成4年4月、こうして開館の日を迎えることとなった。
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