三星堆王国の謎

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三星堆王国の謎 2007.06.15更新

オンライン講座概要 講師:徐朝龍 京都大学文学博士
前 書 き: 「三星堆」遺跡は四川省広漢市の西側7km、馬牧川の南岸にある。その辺りにはかつて長さ2300mぐらいの円丘状の土の山が3つあったが、伝説によるとこれらは玉皇大帝(道教の最高神)が天上から撒いた3握りの土がここに落ち、まるで金色に輝く3つのの金星のようだったことから、「三星堆」と名づけられたという。また「三星堆」と、川を挟んで向かい合ったアーチ形の台地である「月の湾」は地元では地相のよい土地として知られ、人々から「月に寄り添う3つの星」という美しい名で呼ばれている。

作品(すべて四川省三星堆博物館所蔵品)

三星堆遺跡   三星堆遺跡発掘現場

「三星堆」遺跡は広漢市の西側7km、馬牧川の南岸にある。その辺りにはかつて長さ2300mぐらいの円丘状の土の山が3つあったが、伝説によるとこれらは玉皇大帝(道教の最高神)が天上から撒いた3握りの土がここに落ち、まるで金色に輝く3つのの金星のようだったことから、「三星堆」と名づけられたという。また「三星堆」と、川を挟んで向かい合ったアーチ形の台地である「月の湾」は地元では地相のよい土地として知られ、人々から「月に寄り添う3つの星」という美しい名で呼ばれている。
  
  立人像(りつじんぞう)
商時代・前13〜前11世紀
高262.cm 幅64.1 奥行57.0、青銅製


四川省三星堆遺跡の二つの坑からは、多数の青銅製の人頭像や仮面が出生しているが、全身をかたどった大型の像は、この一体のみである。まず、極度に痩身で、手が異様なまでに大きいのが印象的である。
顔の表情は、他の人頭像とはは同じであるが、より一層厳粛な雰囲気をただよわせている。太い眉の下に、稜線をもつアーモンド形の大きな目が顔いっぱいに作られ、鼻の頭は三角形にとがり、口は大きく、硬く結ばれた口元は少し下がっている。顎は角張り、その下の首は太く長い。耳には雲気文が施され、耳たぶに耳飾りをつけたと思われる円い孔があけられている。頭上には、回字文のある冠をかぶり、冠の上部は、前半分だけにさらに花弁状に外に開かれた飾りがついている。その左右の円形の文様は、三星堆の青銅器によく見られる目をモチーフとしたものかと思われる。後頭部に二つの方形の孔があいているが、ここには三星堆の人頭像に見るような髪飾りがつけられしていたものと思われる。また、背の中央部と右脇にも小さな方形の孔があいており、あるいはこれらは、光背のような何かの装飾品を背後に固定するためのものであったかも知れない。なぜなら、この立入像そのものは台座があって安定しており、これらの孔によって、他のものに固定する必要はないからである。鋳造時の型持ち(スへーサー)の跡とする説もある。
  
  縦目仮面(たてめかめん)
商時代・前13〜前11世紀
青銅製、高82.5cm 幅78.0cm

ように耳の後ろにつづいている。突出した一瞳の中ほど凸帯がめぐっている。両側面の上下に装着のための方形孔がある。店間には巻雲状の立飾りを装着している。これは断面が船底形で、象の鼻のように額から上に長くのびた先端が下に巻き、額の前lでは蕨手状になっている。この形は一号坑か龍形杖頭の装飾に類似する。また、この立飾りの中央には板状の羽根飾りがつき、やや上の両側には半円形の紐がある。
凸目はは別に鋳造したのち、本体の鋳型に埋め込む鋳ぐるみの技法(分鋳法)によっているが、耳と立飾りは別に鋳造したのち、面部のほぞ孔に差し込み、鋳かけの技法(熱補法)によって接合している。
 
  人頭鳥身像(じんとうちょうしんぞう)
商時代・前13〜前11世紀
青銅製,残高12.2cm


角の立つ旭をかぶり、人間の顔をしていながら鳥の体をする怪物である。これは三星堆遺跡から出土した「三号神樹」に属する一部分である。人頭鳥身像は蕾の上に立ち、翼を広げている。これは自然界にはありえないものなので、明らかに神話的な世界にしか成立しない架空の存在である。「人頭鳥身」の神々は『山海経』にしばしば見られ、神樹と関連するものもある。こうした数千年前に実在した遺物を目の前にして、『山海経』に描写された神神の世界というものは根拠のない荒唐無稽なものばかりともいえないような気がする。
 
  大型縦目仮面 (おおがたたてめかめん)
商時代・前13〜前11世紀、 青銅製、高:65.0p 幅137.0p

面部は半切した楕円筒形をなす。太い眉、三角形に突き出た鼻、頬骨の形は人頭像に類似する。目は甲骨・金文の「目」字や殷・周青銅器の饕餮文の目に近い形であるが、円柱状にいちじるしく突出した瞳が異様である。この凸目は、直径16.5センチ、長さ13.5センチ、その中ほどには凸帯がめぐっている。口は唇が薄く、凹凸線で表現することは人頭像と同じだが、凸線が一条多く、両端が上方に切れ上がり、怪しげな笑みを浮かべている点が相違する。耳は上半部が牛耳のように大きく伸び、逆L字形を呈する。
 
  祭祀人物座像(さいしじんぶつざぞう)
商時代・前13〜前11世紀
青銅製、高15.6cm 底径9.8cm


 最下部にあるのが三星堆文化の青銅器造形の中で山を表す独特の形である。この山の頂上にひざまずいた人物は三星推王国の祭旭活動に専門的に従事した人間であり、彼が両手を挙げて「尊」という供献用器を大事そうに頭上に乗せている。そして、その尊の上にはさら「山」を表す部分があり、その上は欠落している。山を祭るということは三星堆精神文化の中でかなり重要な位置を占めており、文化圏の中心であった成都平原の西側に聳え立つ岷山山脈が民族発祥の地であり、精神的なよりどころでもあったと見られている。したがって、こうした山の頂上にひざまずいて祭祀に専念する姿は、山岳信仰の民族にしては当然の姿といえよう。
 
  巨大神樹(きょだいしんじゅ)
商時代・前13〜前11世紀
青銅製、高384.0cm,台座径92.4cm


 全高384メートルという、中国青銅器時代を通して単独の遺物として最大規模を誇るのがこの神樹である。下の台座が山を表現しており、神樹は山の頂にに立っていることになっている。時は3段からなり、それぞれの段で3木の枝が伸び出ている。そして、枝という枝には青がつき、その上に鳥が頭をもたげて颯爽と立っている。全部で9羽の鳥がいることになっているが、幹の先端も大きな蕾になっており、その先は欠落しているためにかつて鳥がいたかどうか不明である。なお、幹から頭を下方に向けて降りようとした龍が見える。この「神樹」は『山海経』という古典に登場する「扶桑(または若木)」に比定されているが、文献記録と考古学遺物が一致するモデルケースとして知られている。文献では、「扶桑」は十の太陽が宿るところであり、太陽はそこから鳥に乗って順番に空へ巡同に出かけることになっている。丸い太陽を青銅で表現することは難しかったため、三星堆王国の職人たちは鳥でもって太陽の存在を暗示するという手法を取ったのであろう。
 
  布巻人頭像(ぬのまきじんとうぞう)
商時代・前13〜前11世紀
青銅製、高13.7cm、幅10.8cm


頭上に布を束ねて巻いたこの人頭像は非常にユニークな存在である。このようなねじりはちまきを頭に巻く習慣は現在の四川地方の農村部にも残っており、おそらく遠い音の二星堆文明の時代に通ずるものであろう。耳に孔がそれぞれ三つほど開いており、多くの耳飾りをつけていたと思われるが、少し独特な感じがする。なお、この人頭像のサイズはほかの人頭像より比較的に小さめなので、数も1点しかなく、どのような立場の存在だったのか不明である。
 
  二号坑(にごうこう) 商時代・前13〜前11世紀

二号坑は、先に発見された一号坑の東南約30mのところにある。1986年8−9月発掘。長方形の上坑で、坑の口の部分は、現地表面よりわずか0.5−0.6m下がったところにあった。口部が底部よりやや大きく、全体に逆台形状をなしている。坑の口は、長さ5.3m、幅2.2−2.3m、坑の底は、長さ5m、幅2−2.1m、坑の深さは、1.4−1.68mで、西南が高く、東北が低い。坑の中は、ほぼ三層に分かれており、最上層には、象牙が坑全体をおおうように敷きつめられ、その下に大型の青銅製の器物、立入像・人頭像や尊などが置かれ、最下層には小型の青銅製の部品や樹木、玉石器、子安貝などが大量の草本の灰とともに投げこまれていた。坑内の上は突き固められている。器物の多くが人為的な破壊を被っていたり、火によって焼かれていたことなどから、この坑を火を用いた祭祀の跡と見る説や王朝交替期において前王朝の祭器が打ち壊されて破棄された跡とみる説などがある。

参考書籍

長江文明の発見―中国古代の謎に迫る謎の古代王国―三星堆遺跡は何を物語るか謎のチベット文明―密教王国・世紀の大発見長江文明の発見―中国古代史の謎長江文明の謎―古代「蜀」王国の遺宝
  

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