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孔廟 2007.03.19更新
【和:こうみょう】 |
【中:Kong miao】 |
春秋戦国>孔廟
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孔廟は巨大な宮殿式建築で、孔子の死の翌年、魯の哀公が大成殿を建てて祀ったのが始まりで、その後歴代の皇帝が改修させ。正殿である大成殿は、清代の1730年に明時代の規格にあわせて再建されたもの。東西間回54m、南北奥行き34m、高さ32m、建築面積1鶴6m2の大建築である。石柱ごとに双竜が浮き彫りにされ、重厚な雰囲気を醸し出す。殿内には高さ3.3血の孔子の像が立つ。
孔林の「林」とは墓所のことで、孔子と子孫の墓で、明時代の1444年に建立されたもの。四周に塀がめぐらされ、2平方kmの敷地は2万本の樹木で覆われている。
孔府は孔廟の東隣で、子孫を含めた孔子一族の私邸を兼ねた役所.歴代の王朝は後裔たちを厚遇し官爵を与えた。宋時代に当地に建物が建ち、前部が役所、後部が住居という現在の形態は明時代にでき、孔子77代がこの家ですごした。
儒教の祖、孔子の生誕・終焉の地である曲阜は、春秋時代の魯国の都で、孔子は魯国の仰邑(曲阜の東南)の出身。若い頃、倉庫管理係や牧場の小役人などを勤め、のちに魯国の代官や農事長官、司法長官などを歴任。55歳で宰相代行となったが、間もなく辞職して諸国をめぐった。
68歳で魯に帰り、教育や文化・典籍を整理する仕事につき、72歳で没した。弟子3000人といい、そのうち賢者は72人もいたという。儒学書『論語』は孔子の思想をあらわしたものとされ、長期にわたって科挙試験の標準書となり、また朝鮮・日本の学術に多大な影響を与えた。出所:中国世界遺産「孔廟・孔林・孔府」
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