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崧澤文化 2007.03.29更新
【和:まつざわぶんか】 |
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新石器時代>崧澤文化
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崧澤文化(B.C.3900~B.C.3200)
上海市青浦県の東4㎞、太湖地区から発見され、面積は15万㎡です。1960、1961、1974~1976年、上海博物館らが発掘しました。
上海馬橋遺址は、上海市西南部の上海県馬橋鎮東1㎞から1959年に発見され、1960年と1966年の2 回にわたり発掘されました。良渚文化早期の遺址で、厳文明氏は馬家浜文化と同一系統の文化としています。第五文化層(良渚文化期)から4 種の刻画符号、第四文化層(早商文化期)から47種の刻画符号が出土(上海文物保管委員会「上海馬橋遺址第一、二次発掘」『考古学報』1978-1・西林昭一『中国新出土の書』1989 二玄社)しました。
青浦福泉山遺址は、上海市の西部青浦県の東北9㎞から発見され、1979年試掘し、1982~1984年に正式に発掘しました。馬家浜文化・崧澤文化・良渚文化~戦国・漢・唐・宋の遺址です。
馬家浜文化晩期遺存は、上海青浦崧澤遺跡の第三期(B.C.3305)です。墓葬・灰坑・焼坑・祭壇・玉器・石器・陶器・骨器・牙器などか出土しました。木棺に男性が葬られ、有孔石斧・軟玉製品の副葬品がありました。東北角の棺外に装身具を着けた若い女性が座ったままの姿勢のまま横倒しに倒れ込んでいて、足と頭は墓穴の外にはみ出して(『考古』1993-2)いました。土器は、夾砂紅陶・灰褐陶・泥質灰陶・黒皮陶・灰黄陶の5種類で、豆の圏足内側と陶壺の口内壁に刻画符号(上海文物保管委員会「青浦福泉山遺崧澤文化遺存」『考古学報』1990-3)が刻されています。
上海青浦崧澤遺址は、上海西南の青浦県から4㎞の地点から発見され、1958年に印紋陶片が出土し、1960・1961年に発掘されました。早期新石器文化・晩期新石器文化~春秋・戦国の遺址です。土器は、夾砂紅(褐)陶・泥質紅陶・黒皮陶・灰陶です。
中層は良渚文化です。石器・土器などの出土遺物は、大部分が墓葬の随葬品で、刻画紋・刻画符号が出土(上海文物保管委員会「上海市青浦県崧澤遺的試掘」『考古学報』1962-2・上海文物保管委員会『崧澤』1987 文物出版社)しました。出所:小林松篁
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