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元上都城遺跡 2007.03.28更新

元上都城遺跡

【和:げんじょうとじょういせき
【中:Yan shang du cheng yi zhi
宋・遼・金・元>元上都城遺跡  

その位置は呼和浩特市の東北方, というよりは北京市の北方, というほうが適当であろう。灤河の上流の左岸に近く,多倫の町から行けば西北36kmにあたる。城は1256年に築造され, 1260年に世祖フビライはここで大汗(皇帝)位についた。初め開平府と称したが,のち上都と改称し,元代には大都(北京)に対して陪都とされ,歴代の皇帝が避暑におもむいた。マルコ=ポーロは「シャンドゥJとよんでいる。元朝が滅びた後は廃墟となり,宮殿も楼閣も失われて往年の盛況をみることはできない。
20世紀になって学者たちの探検と調査が行われたが,1925年にアメリカ人インペイの踏査によって元代の状況がほぼ明らかとなった。次いで1940年,原田淑人を中心として東亜考古学会による発掘調査が行われ,全容が詳しく報告されるに至ったものである。
元代の上都は内城と外城および禁苑とからなり,内城の北端に高い土壇があって,その上に宮殿が建ち並んでいたと推定される。外城は1辺2200mの方形をなし,内城の両側に寺院の跡と考えられる区画が存する。さらに外城の北と西とに禁苑が開かれていた。城外の東・南・西方には大通りがあり,これに面して商店や民家などがあった。明代から後は,廃墟の上に多数の土台が残っていたのでチョー=ナイマン=スムフトとよばれた。108の廟城という意味である。出所:「中国の歴史散歩1」

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