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万寿山 2007.05.03更新
万事山は燕山の余脈に属するもので 高さよ約60m.言い伝えでは 山の上には ある老人が彫った石の甕がある。万寿山の別称 甕山の由来となった。明の弘治七年(434年)孝宗市の乳母へ助聖夫人羅氏により 山の手前に園静が建てられ 清の初めは、宮廷養馬場の馬草場となった。乾隆十二年(1750年)皇太后の還暦を迎えるため 園静寺の跡地で大報恩延寿寺が建てられた。翌年 山は万寿山に名が改められ、そして、頤和園の主体となった。建物は山の分一面に沿って築かれている 現存の建物は英仏連合軍によって焼き払われた後 西太后が建て直させたもの。山麓の「雲輝玉宇」牌楼から、排雲門や二宮門、排雲殿、仏香間 山頂の智慧海まで一連の建物は、段たん高くなった中軸線になって築かれている。出所:中国世界遺産「頤和園」
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