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高紅遺址 2007.06.18更新
【和:こうこういせき】 |
【中:Gao hong yi zhi】 |
殷・周時代>高紅遺址
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高紅遺址は山西省柳林県高紅村の南にある山の脊梁に位置している。この山は柳林を東西に貫く三川河により三方面をぐるりと取り巻かれ、北は307国道に隣り合っている。山全体の地形は、北西が高く南東が低い。南東部の傾斜率はやや緩く、北西部は険しい。上から下に至るまで、陶器の破片が発見されている。河岸から遠くないところには、戦国期(紀元前476年―前221年)・漢代(紀元前202年―紀元220年)の陶器の破片と灰坑類の遺址があり、高所の緩い坂の部分から採集された陶器片は殷(紀元前17世紀―前11世紀)の晩期に属するものである。山の頂は割りと平坦であり、当地の人は柿棗垣と称している。垣上の地形は西側が高く東側が低い。研究によると、山西の西北・陝西北部高原一帯は殷の晩期に何らかの政治集団の活動範囲であった可能性がある。高紅遺址はこの集団の権力の中心地であった可能性が高い。
また、遺址には大型の突き固められた建築群があることによって、宮殿であったことがわかる。政治集団の活動の中心地であったことを現している。この遺址の発掘は呂梁地域の変遷の研究を一歩進めるにあたり、貴重な手がかりを与えている。2006年度に中国十大考古学発見に選ばれた。出所:中国網
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