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始平公造像記 2007年10月28日(日)更新

始平公造像記

【和:しへいこうぞうき
【中:Shi ping gong zao xiang ji
晋・南北朝|彫刻・書画>始平公造像記

朱羲章 
北魏・太和二十二年(498)
89.0×39.0cm
 八分の装飾をすてた原始的楷書は、東晋末になると建築的にも安定した重厚な姿となり、五世紀になるともうすっかり楷書の骨法が確立された。
北魏の孝文帝は太和十八年(494)、都を洛陽に遷し、龍門に石窟を造営したが、そこに大小さまざまの仏龕、造像記が刻された。この事業は唐代にまで及んだが、清末以降、それら造像記中とくに秀でた二十種を選び、「龍門ニ十品」と呼んで推賞している。いずれも楷書形成期の遺品であり、三過折という新しい筆法をよく知ることのできる貴重な資料である。 この作品は比丘慧成が、亡父始平公の追善供養のために仏龕をささげ、冥福を祈り、 一門の栄達を願った造像記である。確たる点画と重厚な趣のある楷書体で、古写経の中に相似た書風を見出すことができる。撰文者、筆者の名が共に記されているのも、また、全文陽刻であるのも珍らしい遺例である。出所:「書の歴史」

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