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四川旧石器時代・新石器時代   2008年02月22(金)更新

四川旧石器時代・新石器時代

【和:しせんきゅうせっきじだい・しんせっきじだい
【中:Si chuan jiu shi qi shi dai・xin shi qi shi dai
旧石器時代|新石器時代>四川旧石器時代・新石器時代

 四川考古学研究の萌芽期には、四川盆地での旧・新石器時代の遺跡の発見例が少ないことから、生活環境に適さない場所であったと考えられていた時期もあったが、この50年間にわたって発見件数が着々と増加してきている。こうした諸事例は陳顕丹氏が論考で述べているところである。しかしながら、四川地域における旧石器文化研究は偶発的な発見が多いため、面とした文化域での把握には至っておらず、中国西南地域という大きな地理区分によって、この地域の傾向を確認するに留まっている。
同じ西南地域に属する雲南省において、旧石器時代の終焉の時期を探ると、紀元前5000年まで下がるとみられる。すでに華北地域や長江中流域では、紀元前10000年以上も前に新石器時代が誕生していることからみると、土器の出現において5000年の差があることになる。こうした他地域と西南地域との時間差が何故起きたのかを解明していくことは、四川地域における土器の出現、農耕のはじまり、新石器時代の実相について検討していく出発点となるであろう。
日本人が主食としているコメは中国から伝来したものである。稲作の起源地を、農学者の中には長江上流域の雲南やアッサム地域と主張している意見もあるが、ここ最近の考古学の知見では、長江中・下流域に決着しそうである。悠久な長江の流れによって稲作文化が育まれていった。その流れの東端が波涛を越えて、日本にまで流れ着いたといえる。 
大渓文化は長江中流域である湖南省・湖北省にまたがる江漢平原を中心とした新石器文化中期の文化である。稲作農耕と漁努生業が盛んであったことが、多くの遺物や遺跡から確認できる。出土した大渓遺跡は文字どおり大渓文化の名の基になった遺跡であるが、大渓文化の分布域の西端に位置しており、大渓文化の典型的な遺跡であるとは言い難いが、長江三峡地区の新石器時代遺跡の典型的なものであるといえる。一方、大渓文化の発見以来30年近くの間、四川における新石器時代の様相は時空間ともに空白であったために、性格を四川の東端に位置する大渓遺跡で,四川全域の新石器時代を語らねばいけない状況が、1990年代前半まで続いていたのである。
こうした中で、三峡ダム建設による埋没地域の文化財調査や成都平原などの開発に伴う緊急調査などが急激に増加し、それによって遺跡の発見数や発掘件数が増加した。この十年で発見や成果がまとめられて明らかにされたものは、三峡地区では、大渓文化に続く「老関廟下層文化」、「白廟文化」、四川西部では中子鋪、鄧家坪、辺堆山などの遺跡に代表される「辺堆山文化」、「三星堆一期文化」が挙げられる。特に、三星堆一期文化に相当する、成都平原西側の山岳地帯から扇状地に入る地点で続々と発見されるようになった紀元前2000年頃の新石器時代晩期の遺跡は注目すべきものである。宝墩、魚鳬村、芒城など五ケ所の追跡の特徴は集落の周囲を土塁で巡らせたもので、「城址遺跡」「囲壁集落」などと呼ばれているものである。十数万から60万㎡ほどの面積をもつ追跡が、20km前後の距離をおいて分布している。こうした構造を持つ遺跡が四川地域よりも1500年~1000年古く長江中流域や黄河下・中流域で出現しているが、これらの遺跡を通して戦争の出現や都市の出現が論議されている。集落を壁(土塁)で囲む理由は何か。また、そうした大土木工事への労働力の投入や組織力の存在についても論議は尽きない。四川においても前段階が極めて不明な中で、突如として出現した囲壁集落の意義について考えを深めねばならないであろう。上述したように、約20kmごとに分布していることから、「県単位」として区画を示すものとか、各首長国から統端した一国への移行を示しているのではないかという意見もみられる。こうした拠点集落の調査に端を発した四川新石器文化研究であるが、囲壁を持たない集落の把据や相互の関係などについて、今後の研究課題は尽きない。
四川の西側は山間部が占めるが、今後、これらの地域にも考古学の調査研究は進展していくことであろう。多くの少数民族が居住するこの地域は文字どおり「民族考古学」の資料の宝庫である。しかしながら、地理的条件の制約はもとより、漢代『史記』の記述がさらに数千年を遡り「遊牧移住生活」が展開されていたとすれば、こうした痕跡を遺物や遺跡として見い出すことは困難なことであるかもしれない。…
いずれにせよ、四川をはじめとする中国西南地域の旧石器文化・新石器文化研究は21世紀に向けてさらに大きく飛躍し、これまでの中国考古学の知見をより濃密なものにしていくであろう。出所:『中国四川省古代文物展』-三国志のふるさと、遥かなる大地の遺宝2000

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