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鼻煙壺      2008年05月24日(土)更新

鼻煙壺
【和:びえんこ
【中:Bi yan hu
基本用語|石器・ガラス>鼻煙壺

  鼻煙壺とは嗅煙草を入れる容器であり、その使用は中国清代初期に始まった。その体裁は小さく精巧で、携帯に便利に作られている。鼻煙壺は日常に使用し、随時に手に取って賞玩もするものであるから、富者は往々にして大金を惜しむことなく精製の妙品を探求した。したがってその材料の吟味と製作に当たっては必らず精緻な美観が追求された。
嗅煙草はヨーロッパからの舶来品であり、煙草の葉と芳香性植物とを混合して作った粉末である。嗅ぐときには匙で取り出し、親指と食指とでその煙草の粉をつかみ、鼻孔の所に持っていって鼻に吸い込むのである。趙之謙の「勇盧間詰」には「嗅煙草は大西洋イタリア国より来る。明の萬暦九年に利瑪竇(マテオ=リッチ)が海洋から広東に入り、次いで京師に至って方物(名産品)を献じ、初めて中国に通じる………。その品は飛煙を以て上となし、鴨頭緑これに次
ぐ」とある。清の康熙年間には、西洋人は常にこの嗅煙草を入貢品とし、皇帝もまた常にこれを王公大臣に頒ち賜わったのである。言い伝えに嗅煙草は眼を
覚まし、疫病を避ける効能があるといわれていることもあって、朝野上下を問わず各界の人士にわたってこれを嗜むものが非常に多くなり、清代においてはこの風習はきわめて盛行した。
鼻煙壺は大きいものでも高さ二寸にも足らず、小さいものとなるとわずかに一寸ばかりである。その形状も多くは扁円形で、正円のものが少ないのは、携帯の便をはかったためである。材質は初めは五色の玻璃(ガラス)で作ったが、次には套料(不透明ガラス)の使用に進み、その後さらに進んで各種の材料を用いるようになった。それらを列挙すれば、金銀・翡翠・玉石・瑪瑙・珊瑚・象牙・陶磁・果核・竹木などの材料が採用され、それぞれの持ち味を生かして種々様々な形に製作され、いずれも彫琢・彩絵あるいは象嵌などによって各種の文様が施され、最後に頂蓋・牙匙が配されて完美賞すべき芸術品となった。手に取って賞玩するような小品ではあるが、すでに芸術的に最高の水準にまで到達しているのである。
 套料煙壺のいわゆる套料とは、単一色彩の玻璃製の煙壷に別種の色の装飾を施したものである。単色あるいは多種の彩色を施したものがあるが、とりわけ幾重にも套料を施した作品はきわめて艶麗多姿である。康熙の製品は質朴で簡潔古雅の趣に富むが、紅・藍色を施したものは俗に二十六天罡(星の名)と称されている。また緑・黒・白のもの、藍緑地、あるいは黒地のもの、紅地に藍を施したものなどがある。これらは数は決して多くはないが、いずれも彫鏤精巧で正しく異宝と称すべき珍品である。乾隆年間に至ると刻画が重視され、彫鏤精細で、その製品はあるいは辛家皮・勒家皮・袁家皮と称された。これらはいずれも技法は絶佳、彩色は奇異で、一見すれば覚えず見惚れて手離しがたくさせられるものである。
玻璃の彩絵は裏画ともいうが、この種の画法は一般の画法とは違ってきわめて特殊なものである。一般の画法の多くは器物の外壁に描くが、この玻璃彩絵の画法は、描こうとする題材を製作した器物の内壁に描くものであり、この特殊な技術は他に類のない清一代の芸術である。鼻煙壺自体がきわめて小さく、内部はさらに狭いので、絵を描くことがきわめて難しく、思うようには筆が運ばない。したがって画師は竹の繊維で筆を作り、それに墨あるいは顔料を含ませて壺内に伸入させ、字を書いたり絵を描いたりして完成させる。裏画の鼻煙壺は当時きわめて珍重された。その壺は通常玻璃で作られたが、あるいは水晶や琥珀で製作されたものもある。当時この種の画法を得意としたものはわずかに数人を数えるのみであるが、例えば葉仲三、周楽元、馬少宣などが最も著名である。故宮博物院所蔵の鼻煙壺には彼らの作品がある。
玻璃の胎に琺瑯彩を施した鼻煙壺はまた料彩とも称されるが、その技法は本来はもっぱら銅胎に用いられたものであるから、前朝においてもすでにその作品がある。玻璃胎は雍正・乾隆両朝の特製であり、その壺は多くは扁円形で、全体に各種各様の花卉図案の彩絵が施され、並びに吉祥を表わす文字が書き加えられている。山水・人物・楼閣を描いたものはやや少ない。乾隆朝のものは、 多くは「乾隆年製」四字の款が刻されており、 また藍料(藍色の不透明ガラス)で仿宋槧体の字が書かれているものもあるが、 いずれもきわめて精巧な出来である。しかもその絵画の繊細繁重なことおよび色彩の鮮艶なことは、磁胎琺瑯彩の器に比しても優るものがある。これこそ鼻煙壺の中でも空前絶後の精品である。
銅胎に琺瑯を施した鼻煙壺は、一種の琺瑯質の釉薬を器物の上に塗り、窯に入れて焼き上げたのちさらに磨きをかけて仕上げたものである。この種の製作技術は、ほぼ元・明の頃にビザンチンよリアラビアを経て中国に伝来した。この外来の技術は、中国の職人達の改良を経て、すでに多くの中国芸術の特徴を具え、鼻煙壺に応用されたのである。
彩磁煙壺の表面の彩絵技法は、清朝が明代の遺制を継承したものであり、研究と改良を重ねたのち、色彩も明代よりー層美麗で豊富となった。雍正年間に入ると、文飾の下にまず一層の鉛粉を施し、そののちさらに彩絵を施す技法が創始された。この技法は視覚上からも非常に柔和な感じを具えている。これが世に「粉彩」あるいは「軟彩」と称されるものであり、正に精妙卓絶の名に値する作品である。乾隆年間に至ると彩磁の発展はさらに魂麗多姿となった。鼻煙壺は世に盛行したのち、その材質も次第に玻璃より他の材料に移っていった。
精巧で美しい鼻煙壺は二種に分類することができる。ひとつは彫鏤も精巧であり、形も多種多様なものであり、他はその材質そのものに巧作を加えたものである。いわゆる巧作とは、器物自体の色沢を利用して巧妙な彫刻を施したものをいう。この種の巧彫の器は、必ずその材料の持ち味を生かして形作られねばならない。また適応する材料があり、それに良工が技術を尽くし意匠を凝らして初めて精品が形成されるのである。
嗅煙草を吸うことはすでに過去の旧習であるが、鼻煙壺が我々に追憶を呼び起してくれるのは、それ自体に充分な条件を具備しているからである。出所:『故宮鼻煙壺選崒』

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