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明十三陵     2008年06月01日(日)更新

明の十三陵の地下宮殿
【和:めいじゅうさんりょう
【中:Ming shi san ling
面白テーマ|明・清>明十三陵

 明の十三陵は、北京市昌平県の天寿山麓に広がる周囲40k㎡の小さな盆地の上に点在している。陵墓区は最初、塀で囲まれおり、正面玄関は南端に聳え立つた蠎山と虎峪の両山に挟まれている。十三陵の中でも最も有名な見ものは、なんと言つても雄大な長陵と発掘された定陵の地下宮殿(墓室)であろう。この十三の陵墓はそれぞれ成祖帝の長陵、仁宗帝の獻陵、宣宗帝の景陵、英宗帝の裕陵、憲宗帝の茂陵、孝宗帝の泰陵、武宗帝の康陵、世宗帝の永陵、穆宗帝の昭陵、神宗帝の定陵、光宗帝の慶陵、熹宗市の徳陵、毅宗帝の思陵である。これらの陵墓は、面積と建築物の大小を除けば、建物の配置や、規制はほぼ同じで、断面は長方形になっており、後ろ側には円形(または楕円形)の宝城(墓穴の盛り土)がある。建物は石橋からの順でそれぞれ陵門、碑亭、棱恩門、棱恩殿、明楼、宝城などとなつている。
十三陵の長陵は雄大な建物で、定陵と同じような十二陵観光の目玉である。
長陵は明の成祖帝・朱棣の陵墓である。そのうちの横恩殿はまたの名を稱獻殿、享殿と称されており、長陵の主体建築として、祭祀を行う重要な場所である。長陵の横恩殿は1427年に建てられた雄大な建物で、3層からなる漢白玉石の合座の上に立っており、間口は九間で、奥行きは五間、総面積は1956㎡でぁる。殿を支える32本の「金絲柄木明柱」と呼ばれる楠の柱は、最大のもので直径1.17m、高さは14.30mである。楕円形につくられた梁、柱、桁、升形などの部品は楠の原木を用いたもので、500年余りの風雨にさらされても、今なお最初のままで芳しさを漂わせている。横恩殿は楠を用いた中国最大の宮殿である。
定陵は長陵の規制に照らして築造された明の神宗帝・朱謝翊の陵墓である。神宗帝は10才の時に位につき、年号を万暦とし、明朝でも在位時間が最も長い皇帝(48年)である。定陵の地下宮殿(墓室)は1956~1958年、科学的発掘を経て定陵地下博物館として一般に公開されている。地下宮殿は前、中、後および左右両側にある5つの、高くて広い地下宮殿からなっており、いずれもアーチ型の石造りのものである。全部で7つある石の門は、科学的に設計されたもので、重心が軸部に集められたため、扉の重さが4トンに達したにもかかわらず、それを開いても開めてもとても簡単で便利である。
地下宮殿の配置は、基本的に「前朝後寝」の規制を取つている。前半は如何なる調度品もなく、死者が生前住んだ宮殿前の広場のようにされている。中央部分は死者が生前、政務を取り捌く朝延―「朝月宮殿」の本殿のようにしており、3つの漢白玉石づくりの「王座」が品の字形のよう並べられ、その前にはそれぞれ1つの線香、蝋燭、花などの供物を並べるための黄色琉璃製の「五供」のほか、また、燃えていて永久に消えない「長明燈」灯りの油を盛つた大きな磁器製の甕がそれぞれ1つある。左右両脇殿は如何なる副葬品もない。後殿は寝殿に相当するもので、「玄堂」と称され、宮殿の主要部分として棺が安置されている。棺床(棺を安置する台)の中央には、万暦帝と孝端、孝靖両皇后の棺が置かれており、3棺の周辺には、副葬品としての梅瓶、玉料と金銀玉器を盛った、漆で赤く塗られた26の木箱が並べられている。
定陵で出土した副葬品のうち、皇帝の「皇冠」と皇后の「鳳冠」は最も人々の目を引いている。万暦帝の皇冠は、極く細かな金の糸で編んだもので、その上には2匹の竜が戯れている大きな真珠がはめ込まれている。一番上に象嵌された食指大の猫目石は光り輝いていて、世に稀にしか見ない珍宝である。出所:中国世界遺産「明・清時代の皇室陵墓」

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