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アンコール(カンボジア世界遺産) 2009年3月23日更新
9~15世紀にかけて繁栄したアンコール朝は、26代にわたって王に統治され、アンコール・ワット、アンコール・トムなどの遺跡群を次々に築いていった。その技術は非常にすぐれたもので、12~13世紀初めには全盛期を迎えるが、タイのアユタヤ朝の侵攻などによって徐々に衰退していった。
○アンコール・ワッ卜
アンコール・ワットとはクメール語で「寺院のある町」という意味。12世紀前半に、スーリャヴァルマン2世(太陽王)によって、30年の歳月を分けて建立された。アンコール遺跡群最大の大伽藍で、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神を祀る寺院であるとともに、王を神格化して祀る墳墓寺院とするため、西方浄土を拝するよう、アンコール遺跡中唯一西向きに建つ。環濠で固まれ、境内の中は3重の回廊がめぐらされている.スーリャヴァルマン2世はその環濠を大海原に、周壁をヒマラヤ連峰に、そして5基の尖塔を神々の住む須弥山に見立て、自らの宇宙観を表現しようとした。
○アンコール・卜ム
アンコール・トムとは「大きな町」という意味。現在残るアンコール・トムの城壁は、ジャヤヴァルマン7世によって、12世紀末に建造された。アンコール王朝最初の都城で、クメールが最も繁栄した時代に造営された。ほぼ正方形、周囲には延長12Km、幅130mの濠がめぐらされている。
都城の中心に建つのが、仏陀を祀るバイヨンで、アンコール・ワットと同様に、神の世界を地上に具現化した、クメール独特の様式をもつ寺院である。
○その他の建造物
信仰心の篤い仏教徒だったジャヤヴァルマン7世は、数々の建造物を残している。そのひとつ夕・プロームには、往時1万人を超える僧侶や踊り子が、また聖なる剣を意味するプリヤ・カンには、数万人の人びとが暮らしていたという。点在する遺跡に残るレリーフからは往時の生活風景などもうかがえ、興味はつきない。出所:世界遺産の旅
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