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デリーフマユーン廟(インド世界遺産) 2009年3月24日更新

デリーフマユーン廟(インド世界遺産)

【和:でりーのふまゆーんびょう
【中:
面白テーマ|世界遺産|>デリーフマユーン廟(インド世界遺産)

ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓廟である.ムガール期ではしばしば王の存命中に墓園の造営が始められたが、フマユ…ン廟は、妃のひとりで信仰篤いハッジー・ベーガムによって皇帝の死後に着工され、没後9年目の1565年に完成した.設計はペルシアの建築家ミラク・ミルザー・ギヤースによるもので、広大なチャハルバーグ(4つの区画に分けられた正方形の庭園)様式にはペルシアの伝統が色濃く反映されている.ヒンドゥー建築やそれまでのインドのイスラム建築にはない優美な姿が特徴である.中央に上部にそびえる大ドームは、墓廟の屋根と天井を別にした二重ドーム構造で、赤砂岩に白大理石をはめ込む造りなどは、タージ・マハルを代表とするその後のムガール建築に大きな影響を与えた.
建物の中央には白大理石の墓が置かれているが、これはいわば仮の墓で、フマユーン帝の棺はこの真下に安置されている.こうした形態は、中央アジアから伝えられたものである。1857年の反英蜂起(セポイの反乱)の際、ムガール帝国最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファーは、この墓廟でイギリス軍に捕らえられて帝位を剥ぐされ、ラングーンに追放された。
フマユーン廟の北方に、プラーナ・キラー(古い城)と呼ばれる遺跡がある。ここは16世紀半ばに建築され、のちにフマユーン帝の城となった所である.彼はここにディナハナーという都を建設した.石積みの城壁は当時のもので、場内にはムスリムの礼拝堂や、フマユーン帝が図書館として使用した八角形の塔がある。フマユーン帝はペルシア文化を好む教養人であったが、スール朝の創始者シェール・シャーとの戦いに負けてペルシアに逃れた.ムガール朝は15年間中断したが、1555年、シェール・シャー死後のスール朝の内紛に乗じてデリーを奪回した。翌年、フマユーン帝は図書館の階段から転げ落ちる事故で死亡した。出所:世界遺産の旅
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