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ハトラ(イラン世界遺産) 2009年3月28日更新
ハトラ(現在名はハドゥル)は、 1世紀にパルティア王国の隊商都市として発展したが、同時に軍事基地でもあった.この王国にとって最大の脅威はローマ帝国で、しばしば衝突を繰り返していた。周囲が砂漠と草原のハトラは、ローマ字を迎え撃つのに絶好の条件を備えていたのである.ローマ帝国には屈服しなかったが、240年頃、ササン朝ペルシアに征服され滅びた。
ハトラは、南北に2 km、東西に1.9kmの、ほぼ円形の二重城壁で守られている.城壁内の中央に壁で囲まれたテメノス(神殿地域)があり、広大な前庭を横切ると、シャマシュ神殿にたどり着く。遊牧民特有の建築様式で、イーワーンと呼ばれる、三方を壁で囲まれ、上にかまぼこ形のアーチをのせた建物がある。ほぼ完全に修復されているのがマルン神殿。二重周柱が囲み、外側の円柱は、ブドウやアカンサスの葉をモチーフにした彫刻で飾られている。ハトラには謎の部分も多く、発掘が急がれるが、政情不安のため中断している.出所:世界遺産の旅
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