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チュニス旧市街(チュニジア世界遺産) 2009年4月2日更新
【和:チュニスきゅうしがい】 |
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地中海を挟んで、イタリアのシチリア島に面するチュニジアの首都チュニスは、紀元前5世紀頃からオリーブ油交易で繁栄した古い町である。この頃は、テネスまたはテュネスと呼ばれるカルタゴの衛星都市であった。
698年、アラブ軍が当時ビザンチン帝国下にあったカルタゴを陥落させ、チュニスに拠点をおいてから、イスラム化し、カルタゴに代わって発展することになった。9世紀の初めには、ジートゥーナ・モスク(大モスク)を中心に、スーク(市場)が立ち並び、城壁と壕で防御された町となった。大モスクは「オリーブのモスク」ともいわれ、732年に創建。現在の大モスクの基本形は、 9世紀に改築された結果であると考えられ、初期イスラム様式の重要なモスクである.またマドラサといわれる高等教育施設が併設され、数世紀にわたって幾多の人材を輩出し、イスラム世界の宗教と文化に大きな影響を与えた。
14世紀には、メディナ(旧市街)とその1周辺は、ほぼ現在の形を整えたといわれる.1574年には、オスマン帝国の支配下に入り、その州都となり、1705年にはオスマン帝国のパンヤ(太守)フサイン・イブン・アリーがたてた、 フサイン朝の首都となるなどの政治的変遷をたどるが、チュニスの繁栄は手工業や遠隔地交易に支えられて、 これ以降も継続していった。
この時代に、チュニスには華麗な宮殿がいくつも建てられた。エル・ハッダド、オットマン・ベイ、ベン・アブダラー宮殿などである.
1881年にチュニジアがフランスの保護領となってから、それまでメディナとその周辺だけであった市街地も、 フランス門(別名「海の門)から港に至る、現在のブルギバ大通りを中心とするヨーロッパ風の新市街が急成長した。-方、メディナはスークを中心に変わらぬ活気をみせ、伝統的イスラム都市の面目を保っている。出所:世界遺産の旅
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