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古代都市テオテイワカン(メキシコ世界遺産) 2009年4月9日更新
【和:こだいとしテオテイワカン】 |
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メキシコ中央高原の古典明文化の曙は紀元前200年頃といわれる。当時、大規模な集落が火山の噴火によって壊滅し、紀元前後に聖地で、「神々の座]を意味するテオティワカンに人びとは移り往み、都市を建設し始めた。
350~650年頃、町は全盛期を迎え、人口は20万を超えていた。,当時の規模では、アメリカ大陸最大、世界でもコンスタンティノープルや長安と並ぶ大都市であった,文字の記録がないので、支配力は不明。この頃、高さ65m、1辺の長さ225mの「太陽のピラミッド」や高さ46m、南北168m、東西131mの「月のピラミッド」など、数々の神殿を建設。これらの建物は、ケツァルコアトルの神殿や月のピラミッド前の広場に隣接する、ジャガーの宮殿に残る「雨の女神トラロックの図]、「ケツァルの絵」、「ホラ貝を吹く羽毛のあるジャガーの図」などの宗教的なモチーフを象った壁画やレリーフで装飾されていた。
14世紀、これらの遺跡はアステカ人によって発見された。彼らは古都の跡地を見て、太陽と月が生まれた場所と考えた。おもな神は、主要作物であるトウモロコシを授けたケツァルコアトルと、雨を司るトラロックのような農耕と関係ある神た
った。それを裏づけるかのように、太陽のピラミッドの真下にある洞窟からは、水の神を祀った所と推察される遺物が出土している。
しかし、栄華を極めた宗教都市も7世紀には謎の衰退を遂げ、歴史の舞台から消え去った。1998年、月のビラミッドの裏側に墓地の跡が見つかるなど、発掘調査は徐々に進行してはいるが、全体量からみれば、いまだに10分の1程度であるといわれている。出所:世界遺産の旅
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