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マチュピチュ(ペルー世界遺産) 2009年4月15日更新
ピサロに率いられたスペイン軍に皇帝アタワルパを殺されたインカ帝国の残党は、クスコ北方の山奥に立てこもって抵抗を続けた。しかレ最後の都「ビルカバンバ・ビエホ(幻の都)]がどこにあったのかはまったく不明だった.「幻の部]を求めて、ウルバンバ川流域を探検したアメリカ人のハイラム・ビンガムが、標高2500m前後の山頂に大遺跡を発見したのは、1911年のこと。マチュピチュ(先住民の言葉で「年老いた峰]の意)と呼ばれるこの遺跡が、「ビルカバンバ・ビエホ]なのか、それともアマゾン方面進出のための基地だったのか、アクヤクーナ(太陽の処女)の仕える祭祀センターだったのか、コカの秘密の栽培所だったのか、いまだに謎である。しかし16世紀のある時期、この地に高度な文明を持つ人びとが住んでいたのは確かである。
インカ時代のクスコからの道が通じる正門(他に入口はない)を境に、西には市街区、東には段々畑(墓、倉庫もある)が広がる。市街区には狭い石畳の道が通じ、16か所の水くみ場とともにわき水を利用した水道が整備されていた。「インティワタナ]と呼ばれる花岡岩の一枚岩は、上部に36cmの平板状の突起をもち、太陽の運行など天体観測と関連があるのではないかといわれている。「三つ窓の神殿」「コンドルの神殿]など、ほかにも謎の造形は多いが、いずれも建材として花崗岩の切石が使われている。これらを700m下のウルバンバ川から、どうやって運んだかというのも大きな謎である。
遺跡の存在がクローズアップされることが多いが、この地域の熱帯出岳林は、絶滅が心配されるメガネグマやコンドルなどが生息し90種以上という貴重なランの生育地にもなっているため、複合遺産として登録されている。出所:世界遺産の旅
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