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ブラジリア(ブラジル世界遺産) 2009年4月16日更新
今でこそ、人工的な計画都市への遷都といっても珍しいことではない。赤茶けたブラジル中央高原に、新首都住設の槌音が響き始めたのは1956年のことだった。前衛的な建築物群、平面交差点のない立体交差の連続といった斬新な都市設計は、当時の「未来都市」のイメージを具現化した、ブラジル近代化のシンボルであった。遷都を推進しかジュセリーノ・クビチェク大統領は、建設現場近くの掘立小屋に、労働者とともに寝泊まりして、陣頭指揮を取ったという。4年間の突貫工事の後、1960年4月21日に首都は、リオ・デ・ジャネイロからブラジリアヘ移された。
基本的都市計画はブラジル建築界の重鎮ルシオ・コスタ、主要建築物はニューヨークの国連本部ビルなども手がけたオスカー・ニーマイヤーが担当。2人の師であるル・コルビュジエが協力する形で計画は進んだ。人造湖パラノア湖に面し町全体の形は「飛行機]、「弓と矢」などといわれ、その翼の部分にホテルや高層アパートが並ぶ。最高裁判所、国会議事堂、大統領府が集まる三権広場は機首部分にある。国会議事堂は28階建てのツインビルで、お椀を仰向けとうつ伏せにしたような、上・下院議場が両側に並ぶ。最高裁判所のファサードの柱は、どんな角度から見ても重なって見えない配列になっている。ガラス張りの建物と弓形の柱から「弓の宮殿」と呼ばれるのは外務省。
カテドラルは「十字架や聖人像などなくても、神の家であることが一目でわかるような」とニーマイヤーが意図したように、極めて斬新なものだ。16本の「く]の字型コンクリートの柱で支えるガラス天井の高さは36mある。 その斬新な都市設計は、今も陳腐になってはいない。しかし、郊外に広がるスラム、180万を超える人口は、いずれも計画の想定外のものだ。また、ブラジリア建設のための巨額の資金は対外債務となり、長らくブラジル経済を圧迫した。この「未来都市]建設は、今も進行中だ。出所:世界遺産の旅
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