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ポツダム・ベルリンの宮殿と公園(ドイツ世界遺産) 2009年4月28日更新
【和:ポツダム・ベルリンのきゅううでんとこうえん】 |
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1701年、領土拡大に功をあげ、神聖ローマ帝国より王位を授けられたフリードリヒ1世は、居城とするポツダムを拠点に、プロイセン王国を誕生させた。次いで即位したフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、軍事に力を入れることに執心し派手な生活とは無縁であった。しかし、のちに大王と呼ばれたその息子フリードリヒ2世は、政治に才能を発揮すると同時に、哲学や芸術を愛し、それが親子の確執を生んだ。父の死後、王位に就いたフリードリヒ2世は、うっぷんを晴らすかのように、ポツダムに宮殿や庭園をつくらせた。それがサンスーシの宮殿と庭園である。
○サンスーシの宮殿と庭園
ハーフェル川そばの丘陵に建つのが、 ドイツ・ロココ様式の最高傑作とされるサンスーシ宮殿である。サンスーシとは、 フランス語で「憂いのない」という意味。世俗のつながりを断ち切り、王が親しい友と、哲学を語り、音楽を楽しむために建てさせたとも、不仲の父の命令で結婚した王妃と別居するために建てたともいわれる。
宮殿は1745毎着工され、1747年には完成している。建設期間も短く、規模も小さいが、フリードリヒ2世自ら設計の基本構想を練り、スケッチまで描いており、彼の思い入れの強さがうかがえる。フリードリヒ2世は、35歳から74歳で死去するまでの期間をほとんどこの宮殿ですごした.老齢になってからは、人間嫌いの度合いが強まり、飼い犬たちしかそばに寄せつけなかったという。
また、フリードリヒ2世はサンスーシの庭園の西端に新宮殿を建てた。1700年に完成したこの新宮殿は、ポツダム最大規模の宮殿であり、部屋数は200以上。その敷地内には劇場やカフェも存在し、王族や王の賓客の冬の離宮とされた。
サンスーシの庭園にはほかにも、1829年に皇帝フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の三男、フリードリヒ・ヴィルヘルム王子のために建てられたシャルロッテンホーフ宮殿がある。イタリアに憧れていた王子の想いが込められた、イタリア古典主義様式で建設され、 ドイツの新古典主義の傑作とされている。サンスーシ宮殿とシャルロッテンホーフ宮殿を直線で結んだちょうど中間くらいに、異国情緒たっぷりの中国茶館がある。内部には中国の陶磁器が展示されている。
○ツェツィーリエンホフ宮殿
サンスーシの庭園から北東に少し離れた場所にあるのがツェツィーリエンホフ宮殿。宮殿、庭園ともにイギリス風のつくりで、1917年に完成した。プロイセン王国最後の宮殿である。このツェツィーリエンホフ宮殿は、第二次世界大戦時に、連合国側の主要人物である、イギリスのチャーチルとアメリカのトルーマン、 ソビエト連邦のスターリンなどが集まって、戦後処理について話し合った「ポツダム会談」の開かれた場所でもある。会議の開かれた部屋は当時のままで、見学が可能。また、宮殿の一部はホテルとなっている。
○シャルロッテンブルク宮殿
ポツダムに数多くのプロイセン時代の宮殿が残っているのに対して、ベルリンには現在、ひとつの宮殿しか残っていない。それが、シャルロッテンブルク宮殿である。
この宮殿は、フリードリヒ1世(プロイセン王国初代国王)が妃のゾフィー・シャルロッテの離宮として、1695~1743年にかけて建設したものである。その後も、庭園内などに建築物が増築され、現在にのような姿となったのは、1790年のことである。当初はリーツェンブルク宮殿の名がつけられていたが、年若くして死んだシャルロッテ妃を悼んで、シャルロッテンブルク宮殿と、呼ばれるようになった。
中央棟のドーム状の屋根には、運命の女神フォルトゥナの像があり、前の広場にあるフリードリヒ1世の父、大選帝公の像を見下ろしている。東翼には、ロマン主義絵画などが並ぶ、美術工芸品博物館がある。西翼にはシュリーマンが発掘したトロイ遺跡の出土品などが展示されている先史博物館がある。19世紀の半ばに建てられた王と護衛兵の厩は、現在はエジプト美術館となっている。3000年を経て、なお色鮮やかな『ネフェルティティ王妃の胸像』が有名である。出所:世界遺産の旅
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