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ハンザ同盟都市ヴイスビー(スウェーデン世界遺産) 2009年5月2日更新
【和:ハンザどうめいとしヴイスビー】 |
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8~10世紀頃にノルマン人が、バルト海のほぼ中央に位置するゴットランド島ヴィスビーに、港を築いた。やがて、ロシアとの交易の中継基地として、 ドイツ人が住みつくようになる。その後、12世紀にハンザ同盟の一員となったドイツ人と島民との間に平和協定が結ばれ、共存の道が選ばれた。ハンザ同盟の各国からの農作物や工芸品が集められ、ロシアや北欧の特産品が各地に送られていく。ハンザ同盟の印章を使い、ロシアと独自に交渉することも認められ、ヴィスビーは発展していった。
ドイツ商人とともに住みついた職人や、聖職者を守るために城壁がめぐらされた。1288年にはこの城壁が原因で、島民と紛争が起きている。それまでの塀が堅固な城壁に変わり、島民を排除するようになったからだ。ヴィスビーは城壁内だけで自足できるほど、共同体として完成していた。
同じハンザ同盟の北ドイツのリューベックが、バルト海貿易で台頭してくると、ヴィスビーは翳りを見せはじめる。1298年にはリューベックは、ハンザ同盟の代表であることを宣言し、ヴィスビーの特権を剥奪した。さらに1360年にはデンマークの襲撃を受けた。ヴィスビーはデンマークの撃退には成功したが、それ以後、町は衰退していく。全長3.6kmの城壁内に、中世からの遺跡や多くの教会の廃墟が残されており、かつての繁栄を偲ぶことができる。唯一その姿をとどめている聖マリア大聖堂が目につく。出所:世界遺産の旅
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