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ドゥブロブニク旧市街(クロアチア世界遺産) 2009年5月8日更新
【和:ドゥブロブニクきゅうしがい】 |
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7世紀初頭、 スラブ人による略奪から逃れて、近郊のエピダウルスよりアドリア海の小島に人びとが避難した。ラグーザと名づけられたその町と、対岸の内陸部に住み着いたスラブ人たちの町ドゥブロブニクが合併し、現在のドゥブロブエニクができあがった。合併の際に2つの土地を分けていた水路が埋め立てられ、町の中央を走るストラドゥン(プブラツァ)大通りになった。
ドゥブロブニクは長い歴史の中で宗主国が幾度も変わるが、交易港として、また独自の共和国体制をもつ自治都市として、変わらない発展を遂げた。町を囲む城壁は8世紀頃に建築が開始され、町が大きくなるにつれ拡張されていった。城壁の随所に防衛のための塔が建てられた。
政治の中心となったクネズ宮殿(旧総常府)は12世紀に建設され、15位世紀に後期ゴシック様武とルネサンス様式で建て直された。1667年の大地震で大部分を破損したが、中庭やアーチ型回廓、噴水、美しい彫刻が施された柱頭が並ぶ柱廊など、15世紀のものが現存している。
ルザ広場を挟んで向かい側には、やはり後期ゴシック様式とルネサンス様式で建てられたスポンザ宮殿がある。1520年に建設され、経済の中心として税関や造幣局などに使用された。2つの宮殿に挟まれ、ルザ広場に面して建つ聖ブラホ聖堂は、14世紀に建てられた建物が1709年に焼失したために、1715年にバロック様式で再建された。ドゥブロブニクの守護聖人ブラホに捧げた聖堂である。これ以外にもさまざまな歴史的建造物が残るドゥブロブニクは、1991年の内戦によって多大な被害を受け、「危機に瀕する世界遣産」に登録されていたが、復興が進み、1998年12月の京都会議で、その登録リストからはずされた。出所:世界遺産の旅
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