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コトルの自然と文化・歴史地域(ユーゴスラビア世界遺産) 2009年5月9日更新
【和:コトルのしぜんとぶんか・れきしちいき】 |
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アドリア海に面したコトル湾は、 フィヨルドによる複雑で美しい海岸線が続いている。そのコトル湾の最奥部にある天然の良港、交易商業都市として栄えた港町がコトルだ。背後には標高1749mのロヴツェン山が控えており、海と山とで狭まれた天然の要塞となっている。
コトルは航海技術も発達し、スラブ諸国の中で、最初に航海士学校がつくられ、アドリア海の海図も、そこで初めてつくられた。名声はロシアまで届き、ピョートル大帝が士官学校の生徒を、この航海士学校に入学させたこともあるほどだった。
そうした高度な航海技術から生まれる海軍力と、海と山に挟まれた地形を生かして、宗主国が幾度も代わるなかでも自治を保ち続けて、アドリア海の要衝の交易都市として繁栄してきた。
町には12~13世紀につくられたイタリア南部の建築様式の建造物と、ヴェネツィアの支配下で、繁栄の最盛期を迎えていた時期に建てられた建造物が多い。
貿易で得た富で建てた、中世の遺産である聖トリフォン大聖堂は12世紀にロマネスク様式で建てられたが、1667年の地震で破壊された。再建はルネサンス様式で行われ、新たに2基の塔もつくられた。内部には黄金の祭壇と多くの宝物が収められている。ほかにも宮殿や広場などが残るほか、全長約4 km、厚さ約10mの銃眼付きの城壁が残っている。この城壁は海賊や諸外国の攻撃からの防御に大いに効果を発揮した。
残念ながら、1979年にこの地方を襲った大地震によって、甚大な被害を受けてしまった。大聖堂は崩壊の可能性があり、危険であるとのことで閉鎖された。コトルは世界遺産登録と同じ年に、危機遺産リストにも名を連ねることになってしまった。その後、ユネスコの援助などもあり、再建は少しずつではあるが進んでいる。しかし、近年のバルカン半島の政情不安もあり、まだまだ予断を許さない状況である。出所:世界遺産の旅
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