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モスクワのクレムリンと赤の広場(ロシア世界遺産) 2009年5月13日更新
【和:モスクワのクレムリンとあかのひろば】 |
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モスクワの代名詞のように語られた赤の広場にあるレーニン廟には、レーニンが今も眠っている。レーニン廟の後ろがクレムリンで、 5つの塔上の星が毎夜赤く輝く。旧元老院の丸屋根には、ロシア国旗が翻っている。城塞を意味するクレムリンは、1156年にユーリー・ドルゴルーキがモスクワ川左岸に、木造の砦を築いたのが、その起源といわれる。1367年、 ドミートリー・ドンスコイが、モンゴル軍の襲来に備えて石造の壁と塔を建てた。その後にモンゴルからの独立を達成したイワン3世が,1485~95年にかけて、壁と塔をレンガ造りにかえ、さらに数多い寺院や宮殿を建設し、今日のクレムリンの景観ができあがった。
現在の状壁の全長は2235m、高さは5~19m、厚さは最大で6m.城門は20あるが、通行できるのはクレムリンでいちばん高いトロイツカヤ塔と、ほぼ反対側にあるスパスカヤ塔だけである。18世紀初めにピョートル大帝がペテルブルクに首都を移したので、皇居としての機能はなくなったが、ソ連時代にレーニンが居住して、再び最高権力府の象徴となった。
クレムリン内には、イワン3世時代の建造物が残っている。ロシア正教の国教寺院で、歴代皇帝の載冠式が行われていたウスペンスキー寺院、イコンが見事なアルハングリスキー寺院、監視塔であったイワン大帝鐘楼などと、かつてレーニンが居住していた旧元老院や、博物館となった武器庫などがある。
15世紀にクレムリンの外に設けられた交易所が、「赤の広場」の始まり。17世紀に市場から広場になる。広場に面する壁には、ロシア革命の功労者の遺骨が納められている。広場の南端に建つ聖ヴァシーリー寺院の色鮮やかな、 9つの円蓋が空に伸びる様は、圧巻だ。出所:世界遺産の旅
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