考古用語辞典 A-Words

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乾隆御墨 2009年6月25日更新

乾隆御墨

【和:けんりゅうぎょぼく
【中:Qian long yu mo
彫刻・書画|基本用語|>乾隆御墨

乾隆帝は汪近聖に北京で墨を造ることを命じた。汪は次子を北京に上らせて御墨を作り、御墨を中心として『鑑古齋墨藪』を作った。これによって乾隆御墨の大要がわかる。汪近聖より前に曹素功も康熙帝―乾隆帝の御墨を作っていたようである。『鑑古齋墨藪』にない墨がそれに当るのだろう。胡開文は乾隆末年からの人なので御墨を作ったかどうか疑われる。しかし、乾隆御墨の型を模した胡開文製のものはある。 乾隆帝に献上された墨は宮中で使用され、費消したであろう。臣下への下賜などで真物が残っている可能性はある。曹家・汪家などでは型を踏襲して類似品を作って売ったと思われる。日本の菓子屋が献上菓の名のもとに菓子を作り売ったことを思えば推察できる。これらを含めて乾隆御墨としている。乾隆御墨と言われるものは豪華な大形から小形まである。大型は六〇〇グラム(乾燥した完成品で五〇〇グラム内外)が標準である。漆仕上げがしてあり、墨名には金が入っている。厚さも縁辺部では二センチ近くあり堂々としている。ここまでなくても乾隆・嘉慶頃に作られたと思われるものは乾隆御墨として容認されている。引き続き型が踏襲されて現代でも作られている。その区別は金の褪化から洞察するほかはない。出所:『文房古玩事典』宇野雪村
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