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ピカソ美術館(スペイン) 2009年7月31日更新

ピカソ美術館(スペイン)

【和:ピカソびじゅつかん
【英:Museo Picasso
研究機関|>ピカソ美術館(スペイン)

 カタロニア地方の中心地バルセロナは、港町として古くから東西の文明の接点の地であった。近代の美術史を飾った巨匠たち、サルバドール・ダリ、ホアン・ミロ、アントニオ・ガウディらがこの地方に住んでいたのも、単なる偶然の一致だけではなさそうである。美術館も多く、なんと市内に二八館もあるという。バルセロナは町そのものが古いたたずまいを残している。教会も建物も何百年の歴史そのままの匂いを漂わせていて、車の通れない凸凹の石畳には中世の歴史の跡がしみついている。
 そして、ピカソ美術館も狭いモンカダ通りにある。十三世紀に造られた館が、十五世紀にアギラールという持ち主によって典型的な貴族の館に改造され、十八世紀にカステル男爵によりネオ・クラシックの様式を採り入れた改装が施された。一九三〇年に、この館はモンカダ街友の会によって保存されることになり、一九五三年以降は美術館をつくる目的で市の所有となった。一九一九年にピカソが「アルルカン」を市に寄増し、一九三二年に青の時代の重要作品を寄贈した。ピカソ美術館建設を条件に、一九六〇年に親友である詩人ハイメ・サバルテス(一九六八年パリで没)が所有していた全作品を市に寄贈し、それまでのコレクションと合わせて、一九六三年にピカソ美術館開館の運びとなる。アーチ形の玄関を入ると中庭のあるすてきな美術館である。
 ピカソは一八八一年にスペインのマラガに生まれた。父は美術学校の教授でピカソも十歳のときからそこに入学した。マラガからラ・コルーニャに移住し、十四歳のとき再び父の転任でバルセロナヘー家で移ってくる。一九〇四年に二十三歳でパリに移住するまでの青年期をこの芸術の都市で過ごした。サバルテスとの深く長い交際もここで始まる。
 ピカソはこの親愛なる友の思い出を大切にし、その後も新しいエッチングやリトグラフを創る場合、その都度一点ずつ『サバルテスに贈る』と友情あふれる献辞を書いては、この美術館に寄贈するのである。
 一九七〇年にもピカソはバルセロナ時代の全作品、それに八歳からの初期の作品などを寄贈し、美術館の総点数は三千五百点におよぶ大コレクションとなった。これらの作品群が一階の暗い石造りの部屋から、二階の明る。い部屋へと、ピカソの名もなき時代から栄光に包まれたころ、そして晩年の奔放な作品群へと、あたかもその一生を象徴するかのように年代順に並べられている。
 まず最初の部屋にある少年時代のデッサン類、小品の油絵、どれを見ても天才少年の作品である。十五歳のときの油絵の大作「初聖体拝受」は圧巻である。  二階はバルセロナ時代のデッサン、パステル画から始まる。楽しいデッサン、ユーモアあふれる風刺画、ロマンチックなパステル画、そして青の時代の作品群。天才ピカソの才能は華やかに開花してゆく。「カナルス夫人」は大きな部屋に、この一点のみが飾られている。モデルは一八九九年、十八歳のピカソを版画の世界に導き入れた画家リカルド・カナルスの夫人である。
 ベラスケス作「ラス・メニーナス」からの一連のシリーズは、ピカソの楽しいアレンジである。ほかにも、ピカソが美術史上の名作を自分の作品に変えてしまっている例を写真で説明してくれている部屋もある。
 最後の部屋にあるのが、晩年の作品群である。画家ピ力ソがすべてを試み、すべてを完成させた後の余暇に、大胆に、自由に、キャンバスに向かったこと、彼が一人の画家の一生を通かに超える巨人であったことが感じられる。
 美術館の近くにアヴィニヨン通りというのがある。キュビスム直前に描かれた「アヴィニヨンの娘たち」の連作は南仏のアヴィニヨンではなく、このアヴィニヨン通りの女たちなのである。ピカソにとって、このバルセロナは”心の故郷〃たったようだ。
 実際、ピカソ芸術の変貌と、国際的前衛芸術への参加の芽は、バルセロナ時代に育まれ開花していったといえる。カタロニアそのものが各分野に独自性をもち、特に芸術の面では前衛的な独創性に富んでいるバルセロナ。偉大な魂と才能を育てた街である。 出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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