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銀糸製網衣(公主) 2009年11月6日更新

銀糸製網衣(公主)

【和:ぎんしせいもうい
【中:Yin si zhi wang yi
宋・遼・金・元|金銀・玉器|>銀糸製網衣(公主)

遼時
1986年内蒙古自治区のチェリムモン盟陳国公主墓出土

全長168cm
内モンゴル自治区文物考古研究所蔵
直径0.5皿を網い銀糸で編んだ特別な葬衣である。人体の各部分に分けて編み、それを死者の下着の上から着せ、細い銀糸で各部位を繋ぎあわせた。この銀糸網は頭、腕、手、胸と背中、腹、足の7つの部分からなっている。銀糸網の上にさらに錦の衣を首せ、ベルトを付け、黄金のマスクで覆い、銀靴を履かせ、最後に沢山の装身具で全身を飾った。
葬送のマスク
 陳国公主星のあるナイマン旗の西隣がアオハン旗で、1981年,にアオハン旗周家地遺跡の45号墓が発掘され、弁髪した12、3歳位の遺体が発見された。ニの少年(?)の顔面は麻布で覆われ、眼、鼻、耳、口、が銅と緑松石(トルコ石)でかたどられていた。45号墓は考古学では夏家店上層文化と呼ばれているが、歴史・氏族的には春秋戦国時代から漢代の始めにかけて、この辺りで遊牧生活を営んでいた東胡のうちの山戎のものと推定され、その後裔の契丹族にこのような葬送儀礼が引き継がれてきたと考えられている。
 遼代に至って顕著となった金属仮面の装着は、北方遊牧民の流れをくむ契丹族の葬送儀礼が、家柄、官位や職位の身分によって区別されるものに変わった。また遺体を縄綱で覆う契丹族に受け継がれていた風習も金属製の網張が使われるようになった。これまでに金属製の仮面あるいは網服を伴う遼代の墓は70数基見つかっており、契丹族の王侯、貴族の墓と判定されている。このような葬制は遼代の始めから見られ、中晩期に盛んとなった。仮面は金、銀、銅、鉛などの金属片で作られ、金メッキした製品もあるが、銅製が最も多く、金や鉛のものは少ない。薄い金属板を打ち出し死者の容貌や特徴を捉え、それぞれに個性的な仮面が製作された。
 黄金で作られた仮面をつけ、銀糸の網服をまとった陳国公玉菜の夫婦は、皇帝の姪と皇后の兄にあたる人物であり、このような家系を反映した合葬墓であった。盗掘をまぬがれたタイムカプセルのようなこの墓は、王朝の繁栄を再現するとともに、各民族の葬送儀礼の研究に貴重な資料を提供している。 出所:北方騎馬民族の「黄金マスク展」
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