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平遥古城 2007.03.19更新
【和:へいようこじょう】 |
【中:Ping yao gu cheng】 |
明・清|歴史名城>平遥古城
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平遥は山西省中部にある小さな町で、西周の宣王(紀元前827~前782年)の頃から築造がはじまり、2700年余りの歴史がある。いまでも明、清の時代の町の姿が完全な形で保存されており、中国の漢民族居住地域に現存する最も完ぺきな形の古城でもある。城壁は長さ約6キロ、上に凸凹状の低い壁が3000ぐらいあり、望楼が72ぐらい築かれ、それぞれ孔子の教え子と賢人の数を象徴している。昔、町の南東隅には魁星閣があり、文運をつかさどる魁星が祭られていた。城壁に囲まれた町の中では、「市楼」を中心に、大通り四本、小さな道八本、曲がりくねった小さな露地が72本縦横に交錯している。町の中にある3797軒の古い民家はすべて青いレンガと灰色のかわらで造られた四合院で、地元の特色が目立ち、そのうちの400カ所は完全な形で保存されている。町の中にはまた規模の異なる寺や老舗もあり、明、清の時代の繁華街の様相を往時のままの形で表わしている。平遥は山西商人の故郷であり、中国初の近代銀行の形を備えた「日昇昌票号」もここに建てられた。町の外にある鎮国寺と双林寺は古い建築物や精緻な作りの色とりどりの泥人形によって奥深い中国の文化を提示している。ながい歴史をもつ平遥古城はいまでも魅力がみちみちている。1997年12月3日、平遥古城は国連ユネスコの世界遺産委員会第21回全会で『世界の文化遺産』に登録された。
中国の都市は近世に至るまで、城壁に囲まれていた。もとは役所の周囲だけに城壁を築いたが、町を含めた周囲に拡大したという。城壁都市の面影は西安、興城などによく残っているが、ここ平遥県城もそのひとつ。県城とは、最小自治単位が城壁で囲まれたものをいう。
平遥は山西商人たちが往来した経済都市で、ほぼ四角形の城壁に回まれている。全長6独血、高さ8~12血、壁の上部の幅は3~5m、城壁の外側には幅、深さ4mの濠がめぐらされていて、完壁な形で現存する明代の遺構である。東西南北に6つの門が開き明清時代の都市をイメージさせる。西門から東門がメインストリートで、市街は南天街、北天街に大別され、中心地には2層3檐、高さ20mの壮麗な市楼にいたる。時を知らせた楼閣が往時の様子を伝えている。住宅街の44の伝統的建築様式の家が観光客にも開放されている。出所:平遥古城
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