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銅(竹+互) 2007年12月23日(日)更新
【和:どうご】 |
【中:Tong hu】 |
春秋戦国|青銅器>銅(竹+互)
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戦国
青銅
高15.6cm 幅12.6cm 重163g
1972年江川県李家山出土
雲南省博物館所蔵
エの字形をした,糸をまく道具。糸をまく時に,片手に糸わくの中央の棒をにぎり,もう一方の手で紡錘上の糸を,横向きにした糸わくの側枝にからめていく。このようにして糸をまるくしていく(商店で売られている一巻きの毛糸のようなもの)。
糸わくを使って糸をまくのは,布を織る前に一本の加工糸を作っておく必要があるからである。今世紀の50年代に滄源県の伍族は,次のようにして一巻きの糸をつくった。まず木綿の糸を真水の中に2時間ほどつけておき,しぼったあと赤米を少し煮て,粘りけがでてきたら取り出して木枠にかけてさらし,糸の下に木の棒を通してつりさげ,糸をまっすぐにひっぱる。さらしたあとの糸は,熟紗という。元朝の王禎が著した『農書』の中には,似たような記述がある。それを一口で言うと,綿や麻の糸で布を織る前には,デンプンのりをつけて熟紗にするが,その目的は,光沢を増すことにある, という。そのほかに, もっと重要なことは,経糸の光沢度と強度を増すことによって,布を織る時に緯糸を引きぬいても経糸が切れにくくすることである。
のりをつけて熟紗にするには,糸わくのような道具を使ってゆるゆるに糸をまけば,デンプンを塗りつける時に均等にのりをつけやすく,物干しに干してさらす時にもひとしく乾燥させられる。
日本の静岡県菊川町白岩遺跡では,一種の木製の桛(つむぎ取った糸をかけて束ねる道具)が出上土しているが,これは糸わくと形態が基本的に一致しており,弥生時代後期に属する遺物であるという(弥生時代は前三世紀より後三世紀まで)。榊原松司,石川和明両先生の推定によれば,これは一種の糸まきの道具であるという。(竹+互)(糸わく)と桛とは,形態も用途も一致する紡織工具である。出所:「雲南博物館青銅器展」
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