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戦争場面貯貝器 2007年12月25日(火)更新
【和:せんそうばめんちょばいき】 |
【中:Zhan zhen chang mian zhu bei qi】 |
秦・漢・三国|青銅器>戦争場面貯貝器
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前漢中期
青銅
通高53.9cm 蓋面径33cm 蓋重4.72kg 総重22.07kg
1956年普宇県石寨山出土戦国
雲南省博物館所蔵
貯貝器とは,滇族の奴隷所有貴族が貨幣としての子安貝を貯えておくための容器である。そのうちの一種は,蓋の上に様々な社会活動場面,たとえば「戦争」,「豊年祈願,春播種(たねまき)儀式」,「誓約儀式」,「貢納」などの,古代滇国の「国家の大事(重要な出来事,行事)」を,生き生きと表現している。当時の「滇族」では文字が発達していなかったので,奴隷所有貴族はこのような人物活動場面を鋳造して,彼らの生活の重要な出来事を記載する手段としたのである。このような独特な表現形式は,中国青銅器では滇文化にのみ見られる。
この戦争貯貝器は, 2つの銅鼓を上下に重ねて銅で熔接し,底と蓋をつけたものである。2つの銅鼓の文様は,ほぼ同じである。胸(胴)部の主暈(暈は1つ1つの同心円状文様帯)には, どちらにも,羽冠をかぶった人物が船をこぐ文様が6組鋳出されている。腰部には,立牛,羽飾りの舞人の図案が鋳出されている。胸部の上部を下部の暈の間には, さらに鋸歯文,同心円文の装飾がある。
蓋の上には,戦争場面が表現されている。丸彫り風に鋳造された将士18人(本来は22人),馬4頭(本来は5頭)がおり,そのうち最も高い人は7.3cm,低い人は4.8cm,馬の長さは7~7.6cmである。戦争場面は,おおむね勝者が左から右に向って敗者を追って殺している。以下の5組に分けて記述することができよう。
第1組。蓋中央の騎馬人物は他のものより大きく(一部欠落),おそらく主将であろう。彼はかぶとをかぶり,よろいを着,右手に矛をもって,馬の下の人物を串ざしにしていたようである。その馬の後に裸体の人物がおり,地面にころび倒れている。その人物はすでに首を斬り落されている。左側を一騎が前方に疾駆している。その騎者もまたかぶとをかぶり,よろいを着,身体を斜めにして左を向き,弓を引きしばっている。その馬の向いあわせにいる人物は,頭に鉢巻をしめ,腰に長剣をつるし,楯と矛をもって,正面から来る騎馬武者を迎えうとうとする姿勢を示している。この人物の右後に2人おり,そのうちの1人は楯をかまえて武器をもち, もう1人は頭にさいづち形のまげを結い,各(引き金付きの水平にもつ弓)を引きしばって発射しようとしている。
第2組は2人で,第1組の右後方にいる。うち1人はかぶとをかぶってよろいを着た騎士で,今まさに武器をふりあげて地上に倒れた敵を殺そうとしている。
第3組は4人で,第1組の右にいる。1人はよろいかぶとに身を固めた騎士で,まさに武器をよりあげて1人を切り殺そうとしている。その人物は髪を2本の弁髪(おさげ)にして,左手を地面につき,右手を上にあげ,必死になって起き上がろうとしている。彼はまた左肩に楯を背負っている。この地面に倒れた者の前を,騎者のいなくなった馬が狂奔しており,その馬の前にまた1人,頭にまげを結って,正面から来る者を迎えうとうとしている者がいる。騎士の左側には1人の歩兵がつき従っている。彼は長剣をつるし,肩には楯を背負って,両手で矛をもち,刺し殺そうとしている。
第4組は4人で,第1組の主将の左後方にあたる。さいづち形のまげを結った2人の歩兵が,武器をもって,2人の捕虜を連行している。捕虜は2人とも2本の弁髪を垂らし,両手はしばりあげられている。
第5組は2人で,第1組の左側にあたる。1人はかぶとをかぶった戦士で,武器をもって立っている。 もう1人は2本の弁髪を垂らした人物で,地面にひざまずいて投降している。
以上5組をまとめてみると,戦争の勝者と敗者とに分けることができる。勝った方は11人で,「頭頂にさいづち形のまげを結った」者たちである。彼らはさっそうとした英姿をして,非凡な勇猛さを示している。ある者は馬を走らせて刀をふりあげ,敵を馬の下に切り,ある者は矛をもって敵を串ざしにし,またある者は弩を引きしばって発射しようとし,ある者は捕虜を連行している。負けた方は7人で,みな「2本の弁髪を結った」者たちである。彼らはあわてふためき,ある者は地面に死体を横たえ,ある者は馬から落ちて逃げのびようとしており,またある者は捕虜にされ,なお必死に抵抗しようとしている者もいる。『史記』「西南夷列伝」によれば,当時滇池地域に居住していた支配民族は,「魋結」(さいつち形のまげを結った)の「滇族」とされており,雲南西部に居住としていたのは「編髪」(2本弁髪)の「昆明族」とされている。勝者の方を滇族とし,敗者を昆明族とすることには,何の疑問もないであろう。滇王の墓から出土したこの戦争貯貝器は,昆明族との戦いを勝利に導き,赫々たる武功をあげた光り輝く滇王のために鋳造された副葬品である。今日我々が前漢時代の滇族と昆明族の間の関係と両族の服飾,習俗,および攻撃用・防御用の武器を研究するにあたって,貴重で具体的な資料を提供してくれる。滇王の赫々たる武勲をきわ立たせて表現する目的のために,激烈な戦争がまさに終り,敵方が崩れて瓦解し,死体を地面に棄ててもまだあがいている場面は,勝利の瞬間を最もよく表現しており,力強く描写され,独自の創造性をそなえていると言うべきであろう。さらに,個別の戦闘状況の表現上に,製作者は最も有効な瞬間をよくとらえている。たとえば馬にのり,剣をよりあげて撃とうとしている瞬間には,見る人の魂をゆさぶるものがあり,すでに過去に始末をつけ,また将来をあらかじめ示してもいる。これらすべてのことがら,我々は,古代の労働者が深い観察力と高度な芸術技巧に感嘆しないわけにはいかない。出所:「雲南博物館青銅器展」
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