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殺人祭銅鼓貯貝器 2007年12月28日(金)更新
【和:さつじんさいどうこちょばいき】 |
【中:Sha ren ji tong gu zhu bei qi】 |
秦・漢・三国|青銅器>殺人祭銅鼓貯貝器
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前漢中期
青銅
通高30cm 蓋径32cm 蓋重3.77kg 総重13.07 kg
1956年晋寧県石寨山出土
雲南省博物館所蔵
この貯貝器は銅鼓の形をしており,底も蓋もある。4個の半円形の耳(とって)がついており,胴部と腰部との間,胴部,腰部に,それぞれ鋸歯文が2本ずつめぐっている。蓋の上には,33人の人間(高さ2.9~6cm),馬3頭(長さ4~5.5cm),牛1頭,犬1匹,および3つの銅鼓を重ねた形の柱(高さ6.8cm)が表現されている。蓋の上の人々は, 2つのとってを結ぶ線でおおよそ2組に分けられる。1組は殺人祭祀の場面を表わし, もう1組は春の種まきの儀式の行列である。第1組は18人からなる。その中で突出しているのは,立てた板にくくりつけられた男である。この人物は立たされ,両手,腰,両足をすべて縄できつく縛られ,さらにもう1本の縄を毛髪の先でくくり,板の上をこえてぐるりとまわし,板の後で結んでいる。この人物は,祭りのいけにえとされるのであろう。この組の人々が注視する中心をなしている。この刑を待つ者の前に1人の女子が立ち,これに相対している。この女子は馬蹄銀形のまげを結い,筒状の長い衣服を着,両手で頭をかかえて,驚愕の表情を示している。左側にもやはり馬蹄銀形のまげを結った女子が立っており,右手にかごをさげ,そのかごの中には大きな魚がいれられている。右後には, さいづち形のまげを結った男の子が立ち,首を横にして様子をうかがっている。頭をかかえた人の背後には, 3人の人物が横に並んでいる。右の1人の女子は,後頭部に円盤形のまげを結い,頭髪の束が腰までこれている。彼女はひざまずいて両手で懐中に物をかかえ,首をよこにしてみつめている。その右方には, 3つの銅鼓を重ねて合せた大柱が立っている。真中の男子は,頭頂にさいづち形のまげをのせ,肩に布のような物をかけ,両手でまた物をかかえて,犠牲者の方にやって来る。左の女子は,額の前に尖った角状のまげを結い,その残りの髪は背中にばらっと垂らし,左手に蓋付き容器をもっている。この3人の後に2人の女子がいる。1人はひざまずき,馬蹄銀形のまげを結い,右手にかごをさげ,左手に桶をもってそれを傾け,かごの中にいれようとしている。もう1人はひざまずき,左手にかごをさげ,右手に円形の蓋付き容器をもっている。犠牲者の背後に,2人の人物がいる。1人は女子で,筒状の長い衣服を着,後頭部に円盤形のまげを結い,余った毛髪の束を後に垂らし,両手に食品をもち,それを食べているようである。もう1人は男子で, さいづち形のまげを頭頂部に結い,筒状の長い服は後に垂れ下がって1幅分地面にひきずり,犠牲者の方にやって来る。犠牲者の右後方には, 1人のさいづち形のまげを結った男子がおり,両手で断面が三角形のものをもって立っている。その後には2人の人物がいて,そのうちの1人の男子はさいづち形のまげを結い,馬にのって走り去ろうとしている。もう1人も男子で, さいづち形のまげを結い,ひざまずいて右手にかごをさげ,左手に円形の物をもっている。この2人の後に, 2本の弁髪を垂らした1人の人物(おそらく男子)が,歩んでいる。その右側には, 1頭の牛が立っている。牛の後には,頭のない裸の死体がころがっている。銅鼓柱の右側には2人の女子が向いあっている。1人は馬蹄銀形のまげを背中に垂らして地面に坐り,両手を前に伸ばしている。もう1人は立って筒状の長い服を着, うなじの後でまげを結い,余った毛髪は束ねて腰まで垂らしている。第2組は15人で,隊列を成し,数珠つなぎになって行進している。先頭は, さいづち形のまげを結った騎士で,その後にはさいづち形のまげを結って肩に銅製の鍬をかついだ男子がつづき, 1匹の犬がそれにしたがう。それに接して2人の人物が輿をかついでいる。輿の中には,馬蹄銀形の大きなまげを結った1人の入物がおり,両手を外に出し,頭をやや左に向けて,ひざまずいてお辞儀をしている者を,見おろしている。女子は,奴隷所有主かあるいはこの祭祀の主催者であろう。左側には1人の人物がつきしたがって,左肩に袋のような物をかついでいるが,頭部はすでに欠落している。輿の右側には, さいづち形のまげを結った男子がつきしたがっている。この人物の右後方には,さいづち形のまげを結ってはちまきをした騎士がおり,頭をあげて馬を駆っている。馬の後には1人の女子がおり,馬蹄銀形のまげを背中に垂らし,右肩に2本の棒形の物(上端欠落)をかついでいるが,これはおそらく工具であろう。同じようなまげを結ったもう1人の女子が,両手で桶形の物をかかえている。その後に2人の女子がおり,ひとしく馬蹄銀形のまげを結っている。 1人は丸棒(種をまくために地面を突いて凹みをつくるための棒であろう)をもち, もう1人は頭に編みかごをのせ,その中に物品を一杯いれている。この行列の外,輿の左前方に1人の女子がおり,ひざまずいて,輿に乗っている人物にお辞儀をしている。右後の女子も同じようなかっこうをしている。この人の後にまた1人地面にひざまずいている人物がおり,右手にかごをさげている。かごの中には何か物がはいっており,左手には鉢をもっている。この3人は,出迎えて食事をささげる人々であろう。
馮漢驥先生の解釈によれば,第1組は「豊年を祈る祭典」であるという。板の上にくくられた犠牲者が,この場面の中心であり,そのまわりでは多勢の人が見ており,さらに多くの人々がそこにやって来ようとしている。この犠牲者と首を斬り落された死体とは, この祭祀の犠牲である。それは,多くの原始民族の中に,人間の血だけが地力を回復することができ,農作物の豊かな収穫を得させるという信仰があるからである。第2組は,祭祀のあと,春の播種(たねまき)儀式をおこなうために行進する行列である。輿にかつがれている人物が,この儀式の主催者である。行列中の人物がもっている刃先の尖がった銅鍬や種まき棒などの農具は,みなこの儀式に必要なものである。近代のわずかな文献記事も,この貯貝器の2組の人物活動場面を理解するうえで助けとなる。民国時代の雲南の『姚安県志』「礼俗志,祠祀」によれば,「清代には毎年春に,先農壇(農業の神である先農をまつった祭壇)でおまつりをしたあと,藉田(官田)で耕藉(儀礼的な耕作)をおこなう。知州(州の長官)は右手にすきをもち,左手に鞭をにぎり2人の老人が箱をもち,このようにして種をまく」とある。この中に記述されている耕藉の儀礼は, 2つに分けられる。まず先農壇で先農(すなわち神農・炎帝一―神農は最初に人間に農耕を教えた神,炎帝もこの場合は同じ)をまつり,そのあと知州は人々を率いて官田に行き,手に農具を象徴するものをもち,耕して種をまく。両者を照し合せてみると,筋立てはよく似ている。このことから見ると,貯貝器中央の柱状に重ねられた銅鼓は,
もちろん祭祀の対象ではない。?族が人間を殺してまつった対象は無形の神鬼であり,銅鼓は神に祈りを通じさせるための一種の道具と解釈すべきであろう。現代のワ族(雲南の少数民族)の間では,神鬼をまつる時には木鼓を打ち叩き,木鼓の霊の助けを借りることが必要である。そうすることによって,天の神ははじめて人々が祭りをおこなっていることを知るのである。銅鼓の役割も,木鼓と同じであったろう。この貯貝器は,古代滇族の農事祭祀を,生き生きと真に迫った情景で,我々の眼前に展開してくれる。疑いもなくこれは,当時の農業生産・宗教を研究するさいの貴重な資料である。「春の播種儀式」の行列中の人々が肩にかついでいる銅くわや種まき棒は,当時の生産工具の使用状況をうかがわせてくれる。儀式の参加者のまげや服飾が同一でないこともまた,古代民族を研究するうえでの重要な資料である。出所:「雲南博物館青銅器展」
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