考古用語辞典 A-Words

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蜀漢から唐(四川)  2008年03月28(金)更新

武侯祠・王建墓

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隋・唐・五代|>蜀漢から唐(四川)

  後漢時代の末期、霊帝の時代(在位167~189年)には、蜀と中原を結ぶ漢中の地で政権を握った張魯は、五斗米道(大師道)という信仰による宗教国家をつくりあげた。五斗米道とは、五斗(約10リットル)の米を出せば入門でき、老子道徳経を読ませ、街道筋には旅人のために無料の宿泊所を供するなどの社会事業を行った。この五斗米道は、今日まで広く信仰のある「道教」の起源となったとをえられている。
この時代は、まさにドラマや漫画で有名となった『三国志演義』の時代である。「桃園の誓い」「三顧の礼」などの粗筋をすらすらと話せる日本人は思いのほか多いに違いないが、物語りの村と粗筋と同じように、中国は大きく三つの国に分かれ、そのうちの一つ「蜀」が四川地域で展開されたのである。蜀に政権を建てた劉備はまず漢中地域を攻略する。もとより、漢中地域は劉邦が漢王朝を築いた発祥の地であり、中山王劉勝の後裔を称した劉備にとっても誇り高い場所であり、漢王朝の再興を願う民衆の心をも引き付けていったのである。
劉備は益州牧の劉璋から領土を奪い、国を建て国号を「漢」と称したが、前代のものと区別するために「蜀漢」と呼ばれている。この国家の実相は、劉備、諸葛亮をはじめとした四川に流れ込んできた外来者と在地の有力者や豪族との連合政権によるものだった。当時の蜀の人口は94万人と言われ、戦乱が続き人口が減少した中国大陸の中では集中している。この蜀は263年に魏によって滅ぼされる。長大な『三国志』の争いであったが、国家の一生としては、わずか49年という短いものであった。 
魏、晋による統一もつかの間、五胡十六国、そして南北朝1時代へと目まぐるしく諸国興亡がくり返される時期に入る。四川では304年に氏族の李雄が成漢を興しながらも、347年に東晋によって滅ぼされている。文化の伝統も華北地方からの流れとは別に、南朝王朝からの文化の流れを見とることができる。万佛寺の仏教芸術の中にも江南様式の流れを組むものがあるという。
6世紀になると、隋、そして唐が全国を統一していく。律令制的中央集権に基づく一方で、周辺の大小民族国家との冊封と覊縻による国際関係が築かれていた時代である。日本も多くのひとびとが遣唐使などを通じて中国に入り、多くの文化や最新技を学んだ。
唐代世界を一辺させた安禄山の乱とを逃れて玄宗は蜀へと逃亡する。これに伴い、多くの官人や二人たちも入蜀した。「開元の治」と呼ばれた長安での華麗な文化が四川へと流れ込んできた。李白や杜甫などの文人たちも四川の地に身を寄せている。
前蜀の高祖である王建(847~918年)は唐末、僖宗に付いて蜀へ逃避し、壁州(四川通江)の長官に命ぜられるが、挙兵して四川40余州を領有し独とした。891年のことである。そして時代は再び諸国乱立する五代十国の時代を迎えることとなる。王建の墓は成都市内に残り、観光地として今もにぎわう。出所:『中国四川省古代文物展』-三国志のふるさと、遥かなる大地の遺宝2000

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